玉勝間 / 八の巻 しぬるを病死と云ふ事
今の世、おほやけざまの文書などには、人の死ぬるを、病死と云ふことなり。そもそも人は、病ならで死ぬるは、百千の中に、稀れに一人二人などこそ有べけれ、おしなべては、みな病て死ぬる事なれば、それをとり分ては云はでも有ぬべく覺ゆるを、これは昔みだれ世の頃は、戰ひて死ぬるもの多かりし故に、病死は病死と、分て云へりし時のならひのままなるべし。
新字:今の世、おほやけざまの文書などには、人の死ぬるを、病死と云ふことなり。そもそも人は、病ならで死ぬるは、百千の中に、稀れに一人二人などこそ有べけれ、おしなべては、みな病て死ぬる事なれば、それをとり分ては云はでも有ぬべく覚ゆるを、これは昔みだれ世の頃は、戦ひて死ぬるもの多かりし故に、病死は病死と、分て云へりし時のならひのままなるべし。
書き下し
今の世、おおやけざまの文書などには、人の死ぬるを、病死と云うことなり。そもそも人は、病ならで死ぬるは、百千の中に、稀れに一人二人などこそ有べけれ、おしなべては、みな病て死ぬる事なれば、それをとり分けては云わでも有ぬべく覚ゆるを、これは昔みだれ世の頃は、戦いて死ぬるもの多かりし故に、病死は病死と、分けて云えりし時のならいのままなるべし。
現代語訳
今の世では、役所向きの文書などに、人が死ぬことを「病死」と言うのである。そもそも人は、病でなくて死ぬのは百人千人の中にまれに一人二人などあるくらいで、おしなべてみな病んで死ぬのであるから、それをとりたてて言わなくてもよいように思われるのに、これは、昔の乱世の頃は戦って死ぬ者が多かったので、病死は病死と区別して言っていた時の習いがそのまま残っているのであろう。
解説
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