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玉勝間 / 八の巻 しぬるを病死と云ふ事

今の世、おほやけざまの文書などには、人の死ぬるを、病死と云ふことなり。そもそも人は、病ならで死ぬるは、百千の中に、稀れに一人二人などこそ有べけれ、おしなべては、みな病て死ぬる事なれば、それをとり分ては云はでも有ぬべく覺ゆるを、これは昔みだれ世の頃は、戰ひて死ぬるもの多かりし故に、病死は病死と、分て云へりし時のならひのままなるべし。

新字:今の世、おほやけざまの文書などには、人の死ぬるを、病死と云ふことなり。そもそも人は、病ならで死ぬるは、百千の中に、稀れに一人二人などこそ有べけれ、おしなべては、みな病て死ぬる事なれば、それをとり分ては云はでも有ぬべく覚ゆるを、これは昔みだれ世の頃は、戦ひて死ぬるもの多かりし故に、病死は病死と、分て云へりし時のならひのままなるべし。

書き下し

今の世、おおやけざまの文書などには、人の死ぬるを、病死と云うことなり。そもそも人は、病ならで死ぬるは、百千の中に、稀れに一人二人などこそ有べけれ、おしなべては、みな病て死ぬる事なれば、それをとり分けては云わでも有ぬべく覚ゆるを、これは昔みだれ世の頃は、戦いて死ぬるもの多かりし故に、病死は病死と、分けて云えりし時のならいのままなるべし。

現代語訳

今の世では、役所向きの文書などに、人が死ぬことを「病死」と言うのである。そもそも人は、病でなくて死ぬのは百人千人の中にまれに一人二人などあるくらいで、おしなべてみな病んで死ぬのであるから、それをとりたてて言わなくてもよいように思われるのに、これは、昔の乱世の頃は戦って死ぬ者が多かったので、病死は病死と区別して言っていた時の習いがそのまま残っているのであろう。

解説

公の文書で人の死を「病死」と書く習いを、戦乱の世の名残と見抜いた段である。人はほとんどが病で死ぬのだから、わざわざ「病死」と断る必要はないはずだと宣長は言う。それでもそう書くのは、戦乱の世に討死が珍しくなかった頃、戦死と区別するために「病死」と書いた習いが、泰平の世になっても文書の決まり文句として残ったからだというのである。宣長の生きた十八世紀後半は、戦国の終わりから二百年近くを経た泰平の時代であった。文書の言葉は、その言い方が生まれた事情がなくなった後も、形だけが長く受け継がれる。この観察は、役所の書式や決まり文句がなぜそうなっているのかを考えるときの、一つの手がかりになる。何気ない言葉の中に、それが必要とされた時代の記憶が眠っている。宣長の目は、日常の文書の一語から、戦乱の時代の影を見つけ出している。

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