玉勝間 / 八の巻 はなたり病
同記に、日來患鼻垂疾、俄身溫、また依鼻垂不念珠、但今日無溫氣也、また鼻垂後始念珠、(夜前浴)など見えたり。風を引キたるを云ふと聞ゆ。昨夜を夜前と云ふことも、是れに見ゆ。
新字:同記に、日来患鼻垂疾、俄身温、また依鼻垂不念珠、但今日無温気也、また鼻垂後始念珠、(夜前浴)など見えたり。風を引キたるを云ふと聞ゆ。昨夜を夜前と云ふことも、是れに見ゆ。
書き下し
同じ記に、日来鼻垂の疾を患い、俄に身温まる、また鼻垂に依りて念珠せず、但し今日は温気無きなり、また鼻垂の後始めて念珠す(夜前浴す)など見えたり。風を引きたるを云うと聞ゆ。昨夜を夜前と云うことも、是れに見ゆ。
現代語訳
同じ日記(台記)に「ここ数日、鼻垂れの病を患い、急に体が熱くなった」、また「鼻垂れのために念誦をしなかった。ただし今日は熱気はない」、また「鼻垂れの後、初めて念誦をした(昨夜入浴した)」などと見える。風邪を引いたことを言うと聞こえる。昨夜を「夜前」と言うことも、これに見える。
解説
風邪を「鼻垂れ病」と書いた記事を、同じく藤原頼長の台記から拾った段である。鼻水が続き、急に熱が出て、日課の念誦も休み、熱が引いてから再び始めたという記述は、今の風邪の経過とそっくりで、千年近く前の貴族の体調がありありと伝わる。宣長は医師として、病が昔どう呼ばれていたかに関心を寄せたのだろう。また、昨夜を「夜前」と書く語法もここに見えると付け加えている。一つの記事から二つの言葉の用例を拾う、古記録の読み方の見本である。頼長は政治の中枢にいながら、日々の体調や入浴まで克明に書き留めた。その几帳面な日記が、宣長のような後世の読み手によって、言葉と暮らしの資料として読み直される。記録を書き残すことの意味を考えさせる段でもある。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 しぬるを病死と云ふ事今の世、おおやけざまの文書などには、人の死ぬるを、病死と云うことなり。そもそも人は、病ならで死ぬるは、百千の中に、稀れに一人二人などこそ有べけれ、おしなべては、みな病て死ぬる事なれば、それをとり分けては云わでも有ぬべく覚ゆるを、これは昔みだれ世の頃は、戦いて死ぬるもの多かりし故に、病死は病死と、分けて云えりし時のならいのままなるべし。
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『玉勝間』十二の巻 風引たるを咳気と云ふ事このわたりの人ふるくは、風引きたることを、がいきと云えりき。宣長が若かりし程までは、なべて云えりし言なるを、今はさ云うこと、おさおさ聞かず。これも古きことなり。中昔五六百年さきの記録などに、風病をおおく咳気としるせり。
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『玉勝間』八の巻 わらはやみをおこりと云ふ事又おこりび同じく明月記に、二位殿御発の心地、今日発らしめ給う、とあり。又園大暦に、春宮大夫瘧病、未だ落居せず、今日即ち発る日なり。
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『玉勝間』七の巻 たたう紙園太暦に、徳大寺の前の内大臣より、公賢の大臣に、くさぐさの事ども問いたまえる、条々の中に、一帖紙は沙汰に及ばざるの由、仰せを蒙り候いし、只朝夕用い候、白く候やらん、もし薄などちと散ばみたる物にや候べき、現在鼻垂れ候わば、取り出だすべきの間、之有るべき様、大切に候か、公卿已後も、薄様の帖紙持ちたる事も、よそには見及び候いし、これはもし夏の事に候やらん、紅の帖紙、古物をば持ちて候と有り。帖紙は、今の世ふところにもつ、はな紙の事なり。
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『玉勝間』三の巻 福来病日本紀略に云う、天徳三年云云、今年人民頸腫る、世に福来病と号す、と見えたり。頸のふくらかなるより、かく云いなせしなるべし。長元二年九月十日ごろにも、又此病世におこりき。
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『玉勝間』八の巻 東宮御炙治増鏡に、後宇多の天皇の、いまだ東宮におわしましける程、御病の時、くすしの申すによりて、御灸治の事有べき由を云える所に、いまだ例無き事は、いかが有べきと、定めかねらる。位にては、ただ一たびためし有けり。春宮にては、いまださるためし無かりけれど、いかがはせむとて、おぼし定むと有り。高倉の天皇厳島御幸の記に、御灸の事見えて、さきの巻に引出たり。ただ一たびためし有とは、是れを申せるにや。されどこれは、御位のほどには有らず、おりいさせ給いて後なり。
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