玉勝間 / 八の巻 無辺法界
八雲御抄などに、むへんほうかいの歌よみと云ふ事あり、
書き下し
八雲御抄などに、むへんほうかいの歌よみと云う事あり、
現代語訳
八雲御抄などに「むへんほうかい(無辺法界)の歌詠み」ということがある。
解説
順徳天皇の歌論書八雲御抄に見える「むへんほうかいの歌よみ」という言葉を書き留めた、ごく短い段である。無辺法界は仏教の語で、果てしなく広がる真理の世界を言うが、歌の世界では転じて、とてつもない、的外れな歌を詠む人を言う語として使われたらしい。八雲御抄は、承久の乱で佐渡に流された順徳院が著した大部の歌学書で、和歌の作法や歌語、歌人の評などを集大成したものである。宣長は、この段では意味を説明せず、次の段で今の俗語とのつながりを論じている。本文が読点で途切れているのも、次の段へ続けて読むべきことを示しているのだろう。仏教の深遠な言葉が、歌の世界では的外れな歌詠みを揶揄する言葉になり、さらに庶民の俗語へと移っていく。言葉の意味が、使われる場によって思いがけない方向へ転じていく一例として、次の段と合わせて読みたい。
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 歌書の註を抄となづくる事昔より、歌ぶみの註を抄と云いて、その名をも多く某抄とつくる。抄の字は、註釈にはあたらざれども、もろこしよりして、仏ぶみには、その書のさまにかかわらで、記とも集とも抄とも名づけたる、つねの事なれば、歌ぶみの註を抄と云うも、もと仏書の名どもにならえる物なるべし。
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『玉勝間』八の巻 めつさうかい今の俗言に、めっそうかいなど云うは、此言の訛れるなり。めっそうかいを、伊勢などにては、めっぽうかいと云えり。又其意を江戸などにては、あてこともないと云えり。これも無辺法界の意に近し。
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『玉勝間』六の巻 くどく俊頼の朝臣、「はじめ無き罪のつもりの悲しさをぬかのこえごえくどきつるかな、同じ百首に見えたり。くどくと云うこと、いやしき言にあらず。ついでに云わく、はじめ無き罪とは、仏ぶみに、無始よりの罪と常に云う是なり。その無始は、無かりし始と云うことなるを、始め無きと詠まれたるはいかが。
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『玉勝間』九の巻 新勅撰集の事同書に、文暦元年十一月九日、中納言入道(定家卿)前関白家に於て、新勅撰(先院の御時奏覧せらる)を捜覧す、両殿下監せらる、頗る用捨の事有り、百首を切り棄てらると云云、又入れらるるの人有りと云云。
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『玉勝間』十三の巻 もなかと云ふ詞童蒙抄に、「水の面にてる月なみを云云、もなかと詠めるを、時の人、和歌の詞とおぼえずと、難じけるを、歌がらのよければ、選びに入れりと有り。いにしえは、歌の詞をば、かばかり選びしなり。
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『玉勝間』八の巻 ぬたうつ夫木集に、俊頼朝臣、君こうと猪のかるもよりねざめしてあみけるぬたにやつれてぞふる、待賢門院の安芸、恋をしてふすいの床はまどろまでぬたうちさますよわのねざめよ、今の世にいやしき詞に、のたる又のたうつなど云うは、これなり。
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