玉勝間 / 八の巻 姫君おほい君中の君と云ふ事
いにしへ公卿などのむすめたちのついでを云ふ事、一の姊なるを、姫君とも、大君とも云ひ、二を中の君と云ひ、三より下は、つぎつぎに三の君四の君など云へり。二人にても、いくたりにても、二なるをば、中の君と云ひ、わきて姫君とは、一なるをぞ云ひける。物語などに云へるやう、皆かくの如し。新猿樂記と云ふ書にも、右衛門督なる人の、十六人の女の事を云へるに、大君中ノ君三ノ君四〓御許五ノ君六ノ君七、御許など云へり。此書は、藤原ノ明衡作れり。その頃までも、斯くぞ云へりけむ。
新字:いにしへ公卿などのむすめたちのついでを云ふ事、一の姊なるを、姫君とも、大君とも云ひ、二を中の君と云ひ、三より下は、つぎつぎに三の君四の君など云へり。二人にても、いくたりにても、二なるをば、中の君と云ひ、わきて姫君とは、一なるをぞ云ひける。物語などに云へるやう、皆かくの如し。新猿楽記と云ふ書にも、右衛門督なる人の、十六人の女の事を云へるに、大君中ノ君三ノ君四〓御許五ノ君六ノ君七、御許など云へり。此書は、藤原ノ明衡作れり。その頃までも、斯くぞ云へりけむ。
書き下し
いにしえ公卿などのむすめたちのついでを云う事、一の姉なるを、姫君とも、大君とも云い、二を中の君と云い、三より下は、つぎつぎに三の君四の君など云えり。二人にても、いくたりにても、二なるをば、中の君と云い、わきて姫君とは、一なるをぞ云いける。物語などに云えるよう、皆かくの如し。新猿楽記と云う書にも、右衛門督なる人の、十六人の女の事を云えるに、大君中の君三の君四の御許五の君六の君七の御許など云えり。此書は、藤原の明衡作れり。その頃までも、斯くぞ云えりけむ。
現代語訳
昔、公卿などの娘たちの順序を言うのに、いちばん上の姉を「姫君」とも「大君」とも言い、二番目を「中の君」と言い、三番目から下は順に「三の君」「四の君」などと言った。二人であっても何人であっても、二番目を「中の君」と言い、特に「姫君」とは長女のことを言ったのである。物語などに言っているありさまは、みなこのとおりである。新猿楽記という書にも、右衛門督である人の十六人の娘のことを言っているところに「大君、中の君、三の君、四の御許、五の君、六の君、七の御許」などと言っている。この書は藤原明衡が作った。その頃までも、このように言っていたのであろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 むかしの女御の位階延喜天暦などの頃になりては、女御と申すは、皇后につぎて、いにしえの妃夫人などのつらに当たりて、いと貴かりしにあわせては、なお位階はひきくぞ有りけん。小野の宮の左大臣の御女の女御の、天暦元年にかくれ給えりし、四十九日の願文に、女御贈従四位上藤原朝臣とぞ見えたる、これらも文粋に有り。
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『玉勝間』四の巻 女一宮女二宮など申す唱へ女一の宮・女二の宮など申す女の字、音に読みならえれども、栄華物語などに、男一の宮・男二の宮なども有る、男は音には読むべくも有らず、必ずおとこ一の宮などと読むべければ、女も古えはおんな一の宮、おんな二の宮などぞ読みつらむ。ことわりをもて思うにも、字音には読むまじき続きなり。
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『玉勝間』十三の巻 更衣同紀に承和九年正月丙申朔戊戌、天皇太上天皇及び、太皇太后宮に嵯峨院に朝覲す、云云、是の日、詔して従五位下秋篠朝臣康子に、正五位下、无位山田宿禰近子に、従五位上を授く、並びに太上天皇の更衣なり。と見ゆ。この更衣と云う物は、いずれの御代のころより有りそめけむ。物に見えたる事は、これ始めなり。そもそも後宮職員令には、妃二員、右四品以上。夫人三員、右三位以上。嬪四員、右五位以上。宮人と有るを、中昔よりこなたは、これらの号は絶えて、大かた妃夫人にあたる程なるをば、女御とし、嬪にあたる程なるをば、更衣とせらる。三代実録六の巻に光孝天皇の更衣と云うことも見え、また仁和三年には、勅す。更衣従五位上藤原朝臣元善を以て、女御と為す、中納言従三位山陰の女なりとも見えたり。
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『玉勝間』十一の巻 源氏ノ長者西宮記に、源氏の爵を定むる事、王卿の中、弘仁の御後に触るる人を以て、長者と為す、(かの時上臈の源氏の公卿有り、重明親王参議等これなり。)と見えたり。等の卿は、もとより弘仁の御後なるを、重明親王は、延喜の御子におわすれども、御母ぞ、融の大臣の御孫、昇の大納言の御女におわしければ、これ弘仁の御後に触れたるなり。
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『玉勝間』九の巻 某公某ノ卿と云ふ事公卿と云うは、大臣を公と云い、三位より上を卿と云う、これなり。されば公卿なる人の名を云うにも、大臣なるをば、某公と云い、納言より三位までをば、某の卿と云う、つねの事なり。然れども某公と云える事は、古くはかつて見えず、大臣をばすべて、河原の左大臣、近院の右大臣、御堂の関白など申せり。まれに、必ず名を云わではえ有らぬ処などには、良房大臣、忠平の大臣など見えたり。又某の卿と云う事も源氏物語・栄花物語などには、一つも見えず。行平の中納言、道雅の三位など云えり。然らば某の卿と云うは、後の事かと思えば、さには有らず。はやく万葉集に、式部卿藤原の宇合の卿、中納言安倍の広庭の卿など見え、躬恒の家集にも、かねすけの卿と有り。古き事なり。されどそは、むねとある物語文などに、おさおさ見えぬゆえにや。今思うには、定家の卿・家隆の卿など云わむよりは、定家の中納言、家隆の二位など云わむは、ゆうに聞こゆめる。そもそもかく名の下に、官又位をつけて云うこと、近き世の人の書く文には、かつて無くして、ただ某の卿とのみ書くは、古えの物語などの、よき文の例えに、心のつかざる故にや、すべてこうようのいささかの事も、古えのとき世とき世の例をよく考えて、そのさまに合わせて書くべきわざにこそ。
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『玉勝間』五の巻 東宮の御息所 東宮の女御又かの伊勢物語の東宮の女御を、真名本には、これも東宮の御息所と有るによりて、東宮の女御と云うことは、この書の頃には、云うべき事ともおぼえぬ俗語なり、と云い消たれたるもひが事なり。そもそも歌集の詞書、また物語ぶみなどは、古えとても、国史などのたぐいとは異にして、かようの称呼なども、これただ当時世間に云いならえるままにしるせる事多ければ、さのみことわりをもて、正すべきわざにあらず。そもそも後宮の御さだめ、古えは皇后の次に妃、次に夫人、次に嬪にて、女御と云うは、日本紀の雄略の御巻にこそ見えたれ、その後は聞えざりしを、仁明文徳の御世の頃よりしては、妃、夫人など申すは、おさおさ聞えずして、ただ皇后の次は女御、その次は更衣にて、女御は親王大臣の御女の成り給いて、いにしえの妃夫人にあたり、更衣は大かた嬪にあたれり。世の移れるままに、古えとはかわれる事、かくのごとくなれば、なずらえて、延喜の頃、はやく東宮の御母を、その御息所とも、その女御とも申しけむ事、何かは疑うべき。
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