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玉勝間 / 八の巻 榊ノ枝松ノ枝を文台とせらるる事

明月記に、建永二年三月五日、賀茂哥合、今日給題、七日、依有雨氣、御幸被念云云、次入御舞殿、御前敷圓座、大納言依召候御前、次召哥人、有家取哥合、參上、敦經持參榊枝、置御前爲文臺、枝本向御社方、以木葉面可爲上之由有仰、置歌合於其上、云云、幸上御社、次第如前、以橋殿爲御所、予依召取歌合參上、敦經持參松枝、爲文臺如前、讀上了各退下。

新字:明月記に、建永二年三月五日、賀茂歌合、今日給題、七日、依有雨気、御幸被念云云、次入御舞殿、御前敷円座、大納言依召候御前、次召歌人、有家取歌合、参上、敦経持参榊枝、置御前為文台、枝本向御社方、以木葉面可為上之由有仰、置歌合於其上、云云、幸上御社、次第如前、以橋殿為御所、予依召取歌合参上、敦経持参松枝、為文台如前、読上了各退下。

書き下し

明月記に、建永二年三月五日、賀茂の歌合、今日題を給う、七日、雨気有るに依りて、御幸念がる云云、次に舞殿に入御す、御前に円座を敷く、大納言召しに依りて御前に候う、次に歌人を召す、有家歌合を取りて、参上す、敦経榊の枝を持参し、御前に置きて文台と為す、枝の本を御社の方に向け、木の葉の面を以て上と為すべき由仰せ有り、歌合を其の上に置く、云云、上の御社に幸す、次第前の如し、橋殿を以て御所と為す、予召しに依りて歌合を取りて参上す、敦経松の枝を持参し、文台と為すこと前の如し、読み上げ了りて各退下す。

現代語訳

明月記に「建永二年三月五日、賀茂社の歌合で、今日題を賜った。七日、雨模様なので御幸を急がれた云々。次に(院が)舞殿にお入りになった。御前に円座を敷く。大納言が召しによって御前に控えた。次に歌人を召した。有家が歌合(の歌稿)を取って参上した。敦経が榊の枝を持参し、御前に置いて文台とした。枝の元を御社の方に向け、木の葉の表を上にすべきであるとの仰せがあった。歌合をその上に置いた、云々。上の御社(上賀茂社)に御幸された。次第は前と同じである。橋殿を御所とした。私(定家)が召しによって歌合を取って参上した。敦経が松の枝を持参し、前のように文台とした。読み上げ終わってそれぞれ退出した」とある。

解説

神社で歌合を奉納する際、榊や松の枝を文台の代わりにした作法を、藤原定家の明月記から写し取った段である。建永二年、賀茂社で歌合が催され、御幸した院の御前で、下の社では榊の枝、上の社では松の枝を置き、その上に歌稿を載せて読み上げさせた。枝の元を社の方に向け、葉の表を上にせよという仰せがあったことも記されている。文台は歌会で懐紙や短冊を載せる台であるが、神前ではそれを神の依り代とされる榊や、常磐の松の枝で代えたのである。宣長は題に作法を掲げるだけで評を加えないが、歌を神に捧げる行いが、細やかな心配りの作法とともに行われていたことを示したかったのであろう。宣長にとって歌は神代から続く道であり、神と歌とが結びつくこの記録は深い関心の対象であった。形式の一つ一つに込められた敬いの心を読み取らせる段である。

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