玉勝間 / 八の巻 おちつき
物へゆきつきて、喰ふ食を俗に落着と云ふこと、仁治三年內宮假殿記に、奉遷使祭主從三位神祇權大副大中臣隆通、亥刻許參宮、云云、御息所經繼神主之宿舘、長官沙汰進落付之飯酒と有り。
新字:物へゆきつきて、喰ふ食を俗に落着と云ふこと、仁治三年内宮仮殿記に、奉遷使祭主従三位神祇権大副大中臣隆通、亥刻許参宮、云云、御息所経継神主之宿舘、長官沙汰進落付之飯酒と有り。
書き下し
物へゆきつきて、喰う食を俗に落着と云うこと、仁治三年内宮仮殿記に、奉遷使祭主従三位神祇権大副大中臣隆通、亥の刻許り参宮す、云云、御息所は経継神主の宿館、長官落付の飯酒を沙汰し進む、と有り。
現代語訳
ある所に行き着いて食べる食事を、俗に「落着(おちつき)」と言うことは、仁治三年の内宮仮殿記に「遷宮の使いである祭主・従三位神祇権大副大中臣隆通が、亥の刻ごろに参宮した、云々。御宿所は経継神主の宿館で、長官が落付の飯と酒を用意して差し上げた」とある。
解説
旅先に着いてすぐ出す食事を「おちつき」と呼ぶ習いの古さを、伊勢神宮の記録から示した段である。江戸時代の旅では、宿に着くとまず軽い食事や茶が出され、これを落ち着きと言った。宣長は、鎌倉時代の仁治三年、内宮の仮殿への遷宮のために祭主大中臣隆通が参宮した際、宿所で長官が「落付の飯酒」を用意したという記録を見つけた。遠路を来た客をまず食事でもてなし、旅の疲れを落ち着かせるという心遣いが、神宮の儀式の記録にもそのまま書き留められている。伊勢に住み、参宮の人々を日々目にした宣長にとって、客を迎える言葉の古さは身近な関心事であったろう。今も「ひとまず落ち着く」と言うように、到着してほっと一息つく感覚は変わらない。人を迎える作法とその言葉が、七百年以上も受け継がれてきたことを伝える段である。
関連する章句
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