玉勝間 / 八の巻 なんど
まさすけの裝束抄にもやのなんどと云ふ事有、又みすはなんどにかくるも、南おもてにかくるなりとも有り。今云ふ納戶は、これなるべし。
新字:まさすけの装束抄にもやのなんどと云ふ事有、又みすはなんどにかくるも、南おもてにかくるなりとも有り。今云ふ納戸は、これなるべし。
書き下し
まさすけの装束抄にもやのなんどと云う事有り、又みすはなんどにかくるも、南おもてにかくるなりとも有り。今云う納戸は、これなるべし。
現代語訳
雅亮(まさすけ)の装束抄に「母屋のなんど」ということがあり、また「御簾は、なんどに掛けるのも、南面に掛けるのである」ともある。今いう「納戸」は、これであろう。
解説
衣類や道具をしまっておく部屋「納戸(なんど)」の古い用例を、平安時代末の装束抄から示した段である。雅亮装束抄は、源雅亮が宮中や貴族の邸の室礼、つまり行事の際の部屋の飾り付けや装束を記した書で、有職故実の基本資料の一つである。そこには「母屋のなんど」という語や、御簾を掛ける場所についての記述があり、寝殿造の邸の中に「なんど」と呼ばれる区画があったことが分かる。宣長は、江戸時代の家の「納戸」がこの「なんど」であろうと推す。「納戸」という字は、物を納める所という意味で後から当てた字であろう。寝殿造の空間の名が、町家の物置部屋の名として受け継がれていたのである。今でも家の間取りに「納戸」の名が残っているのを思うと、住まいの言葉の歴史の長さが感じられる。宣長は、有職故実の書を、今の暮らしの言葉の源として読んでいた。
関連する章句
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