玉勝間 / 七の巻 人の妻を内方と云ふ事
貫之家集に、つねすけの中納言ノ内方と有り。人の妻を內方と云ふは、古き事なりけり。
新字:貫之家集に、つねすけの中納言ノ内方と有り。人の妻を内方と云ふは、古き事なりけり。
書き下し
貫之家集に、つねすけの中納言の内方と有り。人の妻を内方と云うは、古き事なりけり。
現代語訳
紀貫之の家集に、「恒佐(つねすけ)の中納言の内方(奥方)」とある。人の妻を「内方(うちかた)」と言うのは、古いことだったのである。
解説
人の妻を「内方」と呼ぶ言い方が、平安前期の紀貫之の家集にすでに見えることを記した短い段である。内方は家の奥に住む人の意で、貴人の妻を敬って呼ぶ言葉である。宣長の頃にも使われていたこの語を、後世の言葉と思う人もいたのであろう。貫之は古今集の撰者で土佐日記の作者である。その家集に中納言藤原恒佐の妻を内方と呼ぶ例があるのだから、この言い方は十世紀前半にはすでにあった、というのである。北の方、奥方、内儀など、妻を家の内側の場所で呼ぶ言い方は数多い。こうした呼び名は、当時の住まいの造りと、家の中での女性の居場所を反映している。宣長は俗に聞こえる言葉も、古い用例があれば古語として認める。言葉の古さを、印象ではなく確かな用例で示す態度が、こうした一行の記録にも貫かれている。
関連する章句
-
『玉勝間』十二の巻 人をさして貴殿と云ふ事又某ノ国の住人と云ふ事同じ記、同じ年の所に、人をさして、貴殿と云えること見えたり。また筑前の国志麻の郡の住人、文室の忠光、同じ国怡土の郡の住人、多治の久明などあり。住人と云う事も、やや古しかし。
-
『玉勝間』十二の巻 妻をむかふ、酒をくむ今の世の歌よみの、詞書などに、某の妻をむかえられたるをことぶきて、詠みておくりけるなど、妻を迎うと書く事、定まりのようなり。これ雅言にあらず。古に然いえること無し。妻をもうけとこそ書くべけれ。古はすべて、男をもうく、子をもうくなどぞ云いける。また酒をくむと云うことも、今の世の歌人の、定まれる事なれど、これもみやび言にあらず。すべて酒をくみてのむは、戎国の俗にこそあれ、皇国にはさる事は、古えも今も、有る事なし。されば古くは、歌にも文にも、くむと云えることは、おさおさ見えず、ただのむとこそ云えれ。然るを今の歌人は、いにしえの例をば考えずして、ただおしあてに、妻をもうく、酒をのむとは、今の俗につねに云うことなれば、雅たらず、むかうと云い、くむと云わむこそ、雅たらめとぞ、心得ためる。そはかの香を聞くと云うたぐいにて、なかなかに古にたがえる俚言なる物をや。
-
『玉勝間』八の巻 つぼね栄花物語若枝の巻に、はかなく屏風几帳ばかりを、ひきつぼねて、ひまもなくいたりと有り。局と云うは、つぼやかにつぼねたる所のよしなり。
-
『玉勝間』十一の巻 いはゆる御所詞同書に、内裏仙洞には、一切の食物に、異名を付けて召さるる事なり。一向存知せざる者は、当座に迷惑すべき者なり。
-
『玉勝間』七の巻 女御多子名字のさだ同別記、久安四年、頼長公の養女、入内によりて、名字を撰ばるるところに云わく、御名字の勘文拝見し、之を返上す、愚案の及ぶ所、多子優れ候か、名字の多きは、平声を用うべしと云々、また親王並びに婦人の名は、訓の未だ慥かならざるの字は用いずと云々、これ公の御前に出でて、声を読むべからず、訓を読むべきの故なりと云々、而るに近代、間訓の慥かならざる字等見え候、如何、なかんずく多の字、まさると云う訓候か、いよいよ神妙に覚え候、子細は只今参入して、言上せしむべく候の状件のごとし、八月七日、大外記中原師安(請文)と有り。名字とは、ただ名のことなり。
-
『玉勝間』六の巻 客殿吉部秘訓抄に、文治二、正、十、同記に云う、大夫史広房入り来る、先ず中門の外に立つ、予客殿に出ず、とあり。客殿と云うこと、その頃も有りしなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る