玉勝間 / 八の巻 又吉備ノ大臣の名
政事要略に、貞觀格を出していはく。右撿太政官去天平神護二年九月十五日格、大納言正三位吉備朝臣眞吉備宣奉勅者と見え、一代要記などにも、眞吉備と有り。近きころ此大臣の、母君を葬〓給へる墓誌を掘りいでたるには、眞備と有り。眞備と有るをも、よむには、まきびと訓むべきなり。
新字:政事要略に、貞観格を出していはく。右撿太政官去天平神護二年九月十五日格、大納言正三位吉備朝臣真吉備宣奉勅者と見え、一代要記などにも、真吉備と有り。近きころ此大臣の、母君を葬〓給へる墓誌を掘りいでたるには、真備と有り。真備と有るをも、よむには、まきびと訓むべきなり。
書き下し
政事要略に、貞観格を出して曰わく。右太政官の去る天平神護二年九月十五日の格を検ずるに、大納言正三位吉備朝臣真吉備宣す、勅を奉るに、と見え、一代要記などにも、真吉備と有り。近きころ此大臣の、母君を葬り給える墓誌を掘りいでたるには、真備と有り。真備と有るをも、よむには、まきびと訓むべきなり。
現代語訳
政事要略に、貞観格を引いて言う。「右は、太政官の去る天平神護二年九月十五日の格を調べると、大納言正三位吉備朝臣真吉備が宣した、勅命を承ったところによれば」と見え、一代要記などにも「真吉備」とある。近ごろこの大臣が母君を葬られた墓誌が掘り出されたものには「真備」とある。「真備」とあるのも、読むときには「まきび」と訓むべきである。
解説
奈良時代の学者政治家、吉備真備の名の読み方を確かめた段である。題に「又」とあるのは、以前の巻でも真備の名について論じたことを受けている。真備は遣唐使として唐に長く学び、帰国後は右大臣にまで昇った人物で、学問の人として後世の尊敬を集めた。宣長は、政事要略や一代要記に「真吉備」と書かれている例を挙げ、近年掘り出された真備の母の墓誌に「真備」とあっても、読みは「まきび」であると結論する。字が「吉」を省いて書かれても、読みは変わらないというのである。宣長の時代には、古い墓誌や金石文の発見が学者たちの関心を集めていた。書かれた字と実際の読みとを、複数の資料を突き合わせて確かめるのは、宣長の考証の基本である。人の名は字だけでなく読みまで正しく伝えるべきだという、名への敬意もうかがえる。
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 吉備ノ大臣の名吉備の大臣の名は、真吉備にて、しかしるしたる書ども有るを、続紀などに、真備とあるは、もろこしの国にて、吉の字をはぶきて書き給いしを、帰り参り給いて後も、なおそのままに物には書き給えりしなるべし。それも私しには有るべからず、あだし国人にあい給わむ時などのために、おおやけにも申してなるべし。すべてもろこしに渡り、或るは韓国の客にあう時など、名を、文字をかえなどもして、からめきて書きたりし例、多く有りしなり。
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『玉勝間』一の巻 官名の事中昔の書どもには、おおきおおいもうちぎみ、またはおおきおとどなど云えるは、右の訓あまり長き故に、政の字をのぞきたる訓なり。また左右大臣は、於保伊万智岐美と有るも、官名につきてもうけられたる訓なり。ただし万豆岐美、万宇智岐美は、古の称にて、麻都岐美なるを、音便に然か云うなり。まえつぎみと云う事、書紀の景行の巻の歌に見えたり。さて和名抄には、右のごとく万宇智岐美と有るを、北山抄・江次第などに、末布知君・万不地起牟多地など書かれたるは、布不は仮字たがいたり。すべて音便に宇と唱うるは、みな宇の仮字なりと心得べし。大納言・中納言・参議・少納言、みな漢字を以てつけられたる官にて訓は字につきてもうけたるなり。弁は於保止毛比、これは上つ代よりの官名と聞こえたり。意はいかなるにか、いまだ考え得ず字もいかなる意をもてあてられたるにか、さだかならず。西宮記・北山抄・小右記などに、大輌火之官と書かれたるは借り字なり。外記・内記・大史・少史・史生・官掌など、皆漢ざまなり。もろもろのつかさの長官を、美加と云うは古なり。次官を須気と云うも古きか、判官を万豆利古止比止と云うは、もうけたる訓なり。佐官は訓見えず。
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『玉勝間』八の巻 男の名にも某子と云へる事又敏達の御巻なる糠手子の連を、崇峻の御巻には、糠手の連と見え、舒明御巻に、中臣の連弥気と有る人を、家の系図には、御食子の大連公と見え、又皇極の御巻に、巨勢の臣徳太とある人を、孝徳の御巻には、徳陀古とも有る、これらをもて見れば、子と云う事を、はぶきても添えても云えるも有しにや。
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『玉勝間』二の巻 おのれあがたゐの大人の〓〓を受けしやう宣長、縣居の大人に逢い奉りしは、この里に一夜やどり給えりしおり、一度のみなりき。その後はただ、しばしば書かよわしきこえてぞ、物は問いあきらめたりける。そのたびたび給えりし御答えのふみども、いと多くつもりにたりしを、ひとつも散らさで、いつきもたりけるを、せちに人の乞いもとむるままに、ひとつふたつと取らせけるほどに、今は残りすくなくなん成りぬる。さて古事記の注釈を物せんの心ざし深き事を申せしによりて、その上つ巻をば、考え給える古言をもて、仮字がきにし給えるをも、貸し給い、また中つ巻下つ巻は、かたわらの訓を改め、所所書き入れなどをも、てずからし給える本をも、かし給えりき。古事記伝に、師の説とて引きたるは、多くその本にある事どもなり。そもそもこの大人、古学の道をひらき給える御いさおは、申すもさらなるを、かのさとし言にのたまえる如く、世のかぎりもはら万葉に力を尽くされしほどに、古事記、書紀にいたりては、そのかむかえ、いまだあまねく深くはゆきわたらず、くわしからぬ事どもも多し。
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『玉勝間』一の巻 位階の正従の訓の事位階の正従の訓、正を於保伊と云い、従を比呂伊と云う。こは天武紀十四年に、更めて爵位の号を改む云々、階毎に大広有り云々とある、この大と広との訓を、うつし用いられたるなり。是等ももとは、於保伎、比呂伎とぞ唱えけむを、ともに伎を伊と云うは、後の音便なり。古今集の序に、柿本の人まろを、おおきみつのくらいと有るは、心得ぬ事ながら、おおいと書かずして、おおきと書けるは、古きにかなえり。
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『玉勝間』九の巻 人ノ名を文字音に云ふ事人の名を、世に文字の音にて呼びならえる事、古くは、時平の大臣、多田の満仲、源の頼光、安倍の晴明などのごとき有り。やや後には、俊成卿・定家卿、家隆卿、鴨の長明など、もはら文字ごえにのみ云いならえり。琵琶ほうしの、平家物語を語るを聞くに、常にはさもあらぬ、もろもろの人の名どもも、多くは文字ごえに物すなるは、当時ことに、世の中にさかりなりし事なめり。
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