玉勝間 / 八の巻 あるさとびうた
ある人、思ふことひとつかなへば二つありみつよつ五つむつかしの世やと申すは、たが歌にて、いづれの集に見えて候やらんと問ふ。おのれ云はく。これは集などに有るべき歌には有らず。ちかき世の俗歌なり。趣は聞えたれど、三の句つたなく、結びの句も上にかなはず、ねがふこと一つかなへば又ひとつ二つ三つよついつかつきせむ、など有らば、歌のやうにも有らんか。
書き下し
ある人、思うことひとつかなえば二つありみつよつ五つむつかしの世やと申すは、たが歌にて、いずれの集に見えて候やらんと問う。おのれ云わく。これは集などに有るべき歌には有らず。ちかき世の俗歌なり。趣は聞えたれど、三の句つたなく、結びの句も上にかなわず、ねがうこと一つかなえば又ひとつ二つ三つよついつかつきせむ、など有らば、歌のようにも有らんか。
現代語訳
ある人が、「思うこと一つ叶えば二つあり三つ四つ五つむつかしの世や(願いが一つ叶えばまた二つ、三つ四つ五つと出てくる、むずかしい世の中よ)」と申すのは誰の歌で、どの歌集に見えるのでしょうか、と尋ねた。私は言った。これは歌集などに載っているはずの歌ではない。近世の俗な歌である。趣旨は分かるが、三の句が拙く、結びの句も上の句に合っていない。「願うこと一つ叶えばまた一つ二つ三つ四ついつか尽きせん(願うことは一つ叶えばまた一つ、二つ三つ四つと、いつ尽きることがあろうか)」などとあれば、歌らしくもなろうか。
解説
世に流布する俗な歌を、宣長が添削してみせた段である。問われた歌は、一つ願いが叶えばまた二つ、三つ四つ五つと欲が出る世の難しさを、数え歌の趣向で詠んだもので、「むつかし」に「六つ」を掛けている。宣長は、古い歌集に載るような歌ではなく近世の俗歌だと答え、三の句が拙く、結びの句が上とつながらないと批評する。そのうえで、数を重ねていき「いつか尽きせむ」で結べば、欲に終わりがないという趣旨がすっきり通ると、自ら改作案を示す。人に出典を問われて答えるだけでなく、歌としての出来まで論じ、直してみせるところに、鈴屋で多くの門人の歌を添削してきた宣長の姿が見える。歌の良し悪しは趣旨ではなく、言葉の続き具合で決まるというのである。欲には限りがないという世の真理を、整った言葉で言い表すことの大切さを教える段である。
関連する章句
-
『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
-
『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
-
『玉勝間』十一の巻 歌を思ふほどにある事歌よまむとて、思いめぐらす程、一ふし思い得たる事の有るに、心のごと云いととのえ難くて、時うつるまで思い、或るは日を重ねても、同じすじにかかずらいてとかく続けみれども、ついに事ゆかぬ事あるものなり。さるおりは、そのふしをば、きよく捨てて、さらにほかに求むべきわざなるを、さすがに惜しく、捨て難くて、あかずは覚えながら、いかがはせむに、しいて綴り出でたる、いと心ぎたなきわざには有れども、誰もよく有ることなり。またさように久しく思いわずらいたる程に、そのかかずらえるすじには有らで、思いかけぬよき事の、ふとかたわらより出で来て、たやすく詠み出でらるる事も有りかし。されどそれも、深く思い入りたるから、さるよき事も出で来るにて、初めよりのいたつきの、いたずらになれるには有らずなむ。そもそもこれらは、ようも無きあだことなれども、思い出でたるままに、書き出でたるなり。
-
『玉勝間』十一の巻 うひ学びの輩の歌よむさま今の世にういまなびのともがらの、詠み出でたる歌は、聞こえぬ処を、聞こゆるさまにとりなおさば、古人の歌と、もはら同じくなること、常にあり。これさるべき事なり。いかにと云うに、ういまなびの程は、おおかた題をとりぬれば、まず昔の善き歌の集の中の、その題の歌どもを見て、その中の一つによりて、ここかしこ少しずつ詞を加えて、綴りなすならいなるを、大かた古人の善き歌は、その詞みな、必ず然云わではかなわぬさまにて、おおかた一もじも加え難き物なるを、いまだしき者の、心も得ず、ここかしこと替えぬれば、かえたる所の、必ずととのわぬわざなる故に、歌よく心得たる人の見て、そをととのうさまに引きなおせば、必ずまた本の古歌とひとしくはなるなり。さてさように古歌ともはら同じくては、新たに詠めるかい無きようなれども、うい学びの程のは、後まで、詠める歌数に入るべきにも有らざれば、そはとてもかくても有りぬべし。歌のさまこころえむ学びのためには、しばらくただおいらかにて、上の件のごとしたらむぞ善かるべき。さるを始めよりさかしだちて、人のふるさぬ珍しきふしを詠まむとせば、なかなかによこさまなる悪しき道にぞ、まどい入りぬべき。
-
『玉勝間』十二の巻 よはひの賀に歌を多く集むる事、なき跡にいしぶみをたつる事よわいの賀に、やまともろこしくさぐさの歌を、広く乞い求めて集むる事、今の世に、人の多くする事なり。みやびわざとは云えど、さる心も無き者の、みだりにふくつけく物して、ただ数多くあつまれるを、たけき事にすなるは、なかなかにこちなくぞ覚ゆる。またさしも有るまじききわの人の、墓にもこと所にも、ことごとしきいしぶみを建つる事も、今の世にはいと多かる。これはた余り類い多くて、珍しげ無く、なかなかに心おとりせられて、うるさくさえこそ覚ゆれ。
-
『玉勝間』十四の巻 世の人のこざかしき事云ふをよしとする事世の中のこざかしき人は、いわゆる道歌のさまなる俗歌をよみて、さとりがましき事をよく云うものなり。或いは身こそやすけれなど云いて、わが心のさとりにて身のやすきよしを詠むこと、みな儒仏にへつらいたる偽りごとなり。まことには、わが身を安しとして、足る事を知れる者は無きものなり。たとえば人の齢など、七十に及ぶは、まことに稀れなる事なれば、七十までも長らえては、はやく足れりと思うべき事なれども、人みななお足れりとは思わず。末のみじかき事をのみ歎きて、九十までも、百歳までも生きまほしく思うぞ、まことの情なりける。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る