玉勝間 / 八の巻 狐つかひ
中原康富記云、應永廿七年九月十日丙子、今朝室町殿醫師高天被禁獄、父子弟等三人也云云、此間仕狐之沙汰風聞、然而昨日於御臺御方、仰驗者被加持之處、二疋自御所逃出、則被縛件狐之後、被打殺、依此事、高天ガ狐ヲ奉詛付之條、露顯云云、仍今朝被召取云云、晝程又被召取陰陽助定棟朝臣、是モ仕狐之由、有虛說云云、末代之作法、淺間敷淺間敷、同十月九日甲辰、後聞、囚人高天、昨日被流讃岐國、俊經朝臣同國被流之云云、是等皆狐仕之輩也。
新字:中原康富記云、応永廿七年九月十日丙子、今朝室町殿医師高天被禁獄、父子弟等三人也云云、此間仕狐之沙汰風聞、然而昨日於御台御方、仰験者被加持之処、二疋自御所逃出、則被縛件狐之後、被打殺、依此事、高天ガ狐ヲ奉詛付之条、露顕云云、仍今朝被召取云云、昼程又被召取陰陽助定棟朝臣、是モ仕狐之由、有虚説云云、末代之作法、浅間敷浅間敷、同十月九日甲辰、後聞、囚人高天、昨日被流讃岐国、俊経朝臣同国被流之云云、是等皆狐仕之輩也。
書き下し
中原康富記に云う、応永二十七年九月十日丙子、今朝室町殿の医師高天禁獄せらる、父子弟等三人なり云云、此の間狐を仕うの沙汰風聞す、然して昨日御台の御方に於て、験者に仰せて加持せらるるの処、二疋御所より逃げ出ず、則ち件の狐を縛られて後、打ち殺さる、此の事に依りて、高天が狐を詛い付け奉るの条、露顕す云云、仍て今朝召し取らる云云、昼程又陰陽助定棟朝臣を召し取らる、是れも狐を仕うの由、虚説有り云云、末代の作法、浅間敷浅間敷、同じく十月九日甲辰、後に聞く、囚人高天、昨日讃岐国に流さる、俊経朝臣同じ国に之を流さる云云、是等皆狐仕いの輩なり。
現代語訳
中原康富記にいう。「応永二十七年九月十日丙子、今朝、室町殿(将軍)の医師高天が投獄された。父子兄弟ら三人である云々。このところ、狐を使うという噂が立っていた。そして昨日、御台所の御方で験者(加持祈祷をする者)に命じて加持させたところ、二匹が御所から逃げ出した。そこでその狐を縛らせた後、打ち殺した。このことによって、高天が狐を(将軍に)呪い付け申したことが露顕した云々。それで今朝召し捕られた云々。昼ごろにはまた陰陽助定棟朝臣が召し捕られた。これも狐を使うという虚説があった云々。末世のありさまは、なんとも浅ましいことだ」。同じく「十月九日甲辰、後に聞いたところでは、囚人の高天は昨日讃岐国に流された。俊経朝臣も同じ国に流された云々」。これらはみな狐使いの輩である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 天皇御腫物御針をたて奉る事同記に云わく、同十七日、〓史の亭に参る、禁裏御不予の事、驚き入るの由申し談ず云云。談ぜられて云わく、禁裏の御腫物は、遮なり。腫物医師久阿以下、一昨日十五日、始めてこれを拝見す。御療養難儀の由申すの間、管領畠山方より、下〓という医師を、召し進ぜらるるの処、御針をば、玉体に憚り候間、いかが仕るべきやの由申し、既に下郷して退出せんと欲するの間、三条中納言中山中納言等、談合ありて、この事いかが然るべきや云云。〓史同じく参らせ候云云。本朝に針博士置かるるは、かようの時の御用のためなり。何事ぞ必ず針を進ずべからざるの由申すべきや、所詮権道たるの間、御針苦しかるべからざるかの由、おのおの評定〓せらる。よって下〓御針をたてまいらすと云云。本道の医師の中に、当時針の名誉無し、道の零落と云うべきか。
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『玉勝間』七の巻 みだれ世のあさましかりし事同書に、文和四年二月十一日、天晴る、今日、吉田神主兼豊、状を女中に進むるの次いで、当社追捕の事之を申す、およそ為す方無きか、この程は、道もあまりにあまりにろうぜきに候。また斎屋をも見捨てがたくて、参り候わず、去る三日、山のぐんぜい社頭へ乱入し候て、まさかりにて、四所の神殿をうちやぶり候て、神服神宝を追捕し、また御かまいしいしまで、追捕しつる程に、ともかくも申す計り候わで、火にも水にも入りたきまでに、なげき存じ候、よし田の御参りも、今ちと御延わたらせおわしまして、事のよう、いささかも御らんじしずめられ候御事にて候え、とても今は、物参の御沙汰候まじく候、あまりに心もとなく覚えさせおわしまして候、こまかにおおせ事給り候よし、御ひろう給り候、あなかしこ。これ兼豊の状なり。山のぐんぜいとは、この程比叡の山にあつまりいたる軍勢を云えり。尊き御社を、さばかりそこない奉りけむ、その世のもののふどもの、ひたぶる心は、いかなる禍つ日の心なりけん、あさましなども世のつねなり。また同じ書に同年七月廿六日、後に聞く、今夜窃盗頗る人勢を卒い、禁中の女房勾当内侍、並びに禁中管領宰相典侍已下の局に乱入し、悉く追捕す。台盤所の遣戸等、踏み破ると雖も、御所に入らず退散すと云々。末代の極み、悲しいかな。
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