玉勝間 / 八の巻 男の名にも某子と云へる事
又敏逹ノ御卷なる糠手子ノ連を、崇峻ノ御卷には、糠手ノ連と見え、舒明御卷に、中臣ノ連彌氣と有る人を、家ノ系圖には、御食子ノ大連公と見え、又皇極ノ御卷に、巨勢ノ臣德太とある人を、孝德ノ御卷には、德陀古とも有る、これらをもて見れば、子と云ふ事を、はぶきても添へても云へるも有しにや。
新字:又敏逹ノ御巻なる糠手子ノ連を、崇峻ノ御巻には、糠手ノ連と見え、舒明御巻に、中臣ノ連弥気と有る人を、家ノ系図には、御食子ノ大連公と見え、又皇極ノ御巻に、巨勢ノ臣徳太とある人を、孝徳ノ御巻には、徳陀古とも有る、これらをもて見れば、子と云ふ事を、はぶきても添へても云へるも有しにや。
書き下し
又敏達の御巻なる糠手子の連を、崇峻の御巻には、糠手の連と見え、舒明御巻に、中臣の連弥気と有る人を、家の系図には、御食子の大連公と見え、又皇極の御巻に、巨勢の臣徳太とある人を、孝徳の御巻には、徳陀古とも有る、これらをもて見れば、子と云う事を、はぶきても添えても云えるも有しにや。
現代語訳
また敏達の巻にある糠手子連を、崇峻の巻には「糠手連」と見え、舒明の巻に中臣連弥気とある人を、中臣家の系図には「御食子大連公」と見え、また皇極の巻に巨勢臣徳太とある人を、孝徳の巻には「徳陀古」ともある。これらによって見ると、「子」ということを省いても添えても言ったこともあったのであろうか。
解説
前段の続きで、同じ人物の名が書物や巻によって「子」の有無を違えて記される例を挙げ、「子」は省くことも添えることもできたのではないかと推す。糠手子と糠手、御食子と弥気、徳陀古と徳太という対は、いずれも日本書紀の巻と巻の間や、氏族の系図との間で見つかるものである。中臣御食子は鎌足の父として知られる人物で、宣長はその名が日本書紀では「弥気」とだけあることにも目をとめている。このように同一人物の表記の揺れを集めると、古代の人名の「子」が、名の本体に付けたり外したりできる語だったらしいことが見えてくる。宣長はそこまで言い切らず、「有しにや」と控えめな問いの形で結ぶ。証拠を並べて読み手に考えさせる、この抑えた書きぶりも考証の段の魅力である。
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