玉勝間 / 八の巻 そばへもよらぬ
竹取物語に、つねにつかうまつる人を見給ふに、かくや姫のかたはらに寄るべくだにあらざりけりと有は。俗の詞に、物をくらべて、こよなく劣れるを、そばへもよらぬと云ふに同じ。
書き下し
竹取物語に、つねにつかうまつる人を見給うに、かくや姫のかたわらに寄るべくだにあらざりけりと有るは。俗の詞に、物をくらべて、こよなく劣れるを、そばへもよらぬと云うに同じ。
現代語訳
竹取物語に「(帝が)いつもお仕えしている人々をご覧になると、かぐや姫のそばに寄ることさえできないほどであった」とあるのは、俗語で、物を比べてこの上なく劣っているのを「そばへも寄らぬ」と言うのと同じである。
解説
比べものにならないほど劣ることを言う俗語「そばへも寄らぬ」の古い形を、竹取物語から示した段である。かぐや姫を見た帝が、宮中に帰っていつもの女官たちを見ると、かぐや姫の傍らに寄ることさえできないほど見劣りした、という場面である。今でも「足元にも及ばない」「そばにも寄れない」と言うが、その言い方が、物語の祖とされる竹取物語にすでにあったのである。宣長は、俗語と古典の表現との一致を、一つ一つ拾い集めてきた。俗語は古語の崩れた姿ではなく、古語の流れを受け継ぐものだという見方は、八の巻のあちこちに通じている。比べるという行いに、人との距離という身体の感覚で表現を与える言い方は、千年を経ても変わらない。人の感じ方の根の深さを、何気ない言い回しから教えてくれる段である。
関連する章句
-
『玉勝間』八の巻 まにあはぬ又間にあわぬと云う事も、是れに見えたり。近き世の言には有らず。
-
『玉勝間』八の巻 すそをつまげる俗言に、衣のすそをつまげると云うは、万葉集二十の巻の長歌に、御裳のすそつみあげかきなで、と有る、此つみあげのつづまれる詞なり。
-
『玉勝間』十二の巻 八人のやをとめ俗に八人のやおとめと云うこと有り。土御門の内大臣通親公の、厳島御幸の記に、御神楽のやおとめ八人と見えたり。
-
『玉勝間』九の巻 口あかさぬと云ふことば今の世の言に、人に口あかさぬと云うこと有り、開口のこころばえなり。源氏の物語帚木の巻に、ざえのきわ、なまなまのはかせはずかしく、すべてくちあかすべくなむ侍らざりしと有り、古き詞なりけり。
-
『玉勝間』五の巻 ほほかす ひき物を棄つることを、俗事にほかすと云うは、おちくぼの物がたりに、ほおかし給うと有り。又同じ物語に、弁の君がひきにて参りたりと有る、ひきは、今云うひいきなり。
-
『玉勝間』八の巻 いると云ふ詞俗の言に、銀がいる、銭がいる、或はいくらばかりいるなど云う。此いると云う詞、小右記に供米千石ばかり入るべきか、と見え、源氏物語に、明石の入道の言に、かなぶみ見給うるは、目のいとまいりて云云と有り。これ俗にひまがいると云う事なり。その頃より早く云えることなりけり。もろこしの近き世の俗語に、没の字を用いる、此意と同じことなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る