墨子 / 非命上
然而今天下之士君子,或以命為有。益盖嘗尚觀于聖王之事,古者桀之所亂,湯受而治之;紂之所亂,武王受而治之。此世未易民未渝,於桀紂,則天下亂;在於湯武,則天下治,豈可謂有命哉!
新字:然而今天下之士君子,或以命為有。益盖嘗尚観于聖王之事,古者桀之所乱,湯受而治之;紂之所乱,武王受而治之。此世未易民未渝,於桀紂,則天下乱;在於湯武,則天下治,豈可謂有命哉!
書き下し
然り而して今、天下の士君子、或いは命を以て有りと為す。益た盖ぞ嘗て尚に聖王の事を觀ん。古者、桀の亂す所、湯、受けて之を治め、紂の亂す所、武王、受けて之を治む。此の世、未だ易わらず、民、未だ渝らざるに、桀紂に於いては則ち天下亂れ、湯武に在りては則ち天下治まる。豈に命有りと謂う可けんや。
現代語訳
しかしいま天下の士君子には、運命はあると考える者がいる。ためしに昔の聖王の事跡を見てみよう。むかし桀が乱した国を湯が引き継いで治め、紂が乱した国を武王が引き継いで治めた。世の中は変わらず、民も入れ替わっていないのに、桀と紂のもとでは天下が乱れ、湯と武王のもとでは天下が治まった。どうして運命があると言えようか。
解説
三表の第一「聖王の事に本づく」を、そのまま当てた一段です。同じ土地の同じ民が、上に立つ者が替わっただけで乱れも治まりもした。ならば結果を決めているのは運命ではなく政治である——変数を一つだけ動かして比べる、筋の通った反証です。組織の不振を「業界がこうだから」で説明したくなるとき、この対照の形はそのまま使えます。
この章句が説くこと
反証比較環境政治運命
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