玉勝間 / 八の巻 きぬかぶりをぬぐ事
地藏の物の中に捨て置きたるを、きと見て、時時、きぬかぶりしたるを、うちぬぎ、かしらを傾ぶけて、すこしすこしうやまひをがみつつ行く時も有けりと、同じふみに見えたり。昔も、きぬかぶりなどは、ぬぐをうやまひとしたりけむ。
新字:地蔵の物の中に捨て置きたるを、きと見て、時時、きぬかぶりしたるを、うちぬぎ、かしらを傾ぶけて、すこしすこしうやまひをがみつつ行く時も有けりと、同じふみに見えたり。昔も、きぬかぶりなどは、ぬぐをうやまひとしたりけむ。
書き下し
地蔵の物の中に捨て置きたるを、きと見て、時々、きぬかぶりしたるを、うちぬぎ、かしらを傾ぶけて、すこしすこしうやまいおがみつつ行く時も有けりと、同じふみに見えたり。昔も、きぬかぶりなどは、ぬぐをうやまいとしたりけむ。
現代語訳
地蔵が物の中に捨て置かれているのをふと見て、ときどき、かぶっていた衣を脱いで、頭を傾け、少しずつ敬い拝みながら行く時もあったと、同じ書物(宇治拾遺物語)に見える。昔も、衣かぶりなどは、脱ぐのを敬意の表し方としたのであろう。
解説
頭にかぶったものを脱いで敬意を表す習いが、古くからあったことを示した段である。衣かぶりは、外出の際に衣を頭からかぶって顔を隠す装いで、主に女性が用いたが、ここでは地蔵を見て拝む人物がそれを脱いでいる。宇治拾遺物語のこの話では、打ち捨てられた地蔵をたまたま見かけた人が、その前を通るたびにかぶり物を脱いで頭を傾け、少しずつ拝んでいったという。宣長は、仏を拝むという信仰の中身ではなく、かぶり物を脱ぐという身ぶりそのものに目をとめ、それが敬いの作法として昔からあったことを確かめる。江戸時代にも、目上の人に会うときや寺社の前で笠や頭巾を脱ぐのは当然の礼儀であった。何気ない身ぶりの作法にも、長い歴史があることを教える段であり、礼儀の形がどのように受け継がれてきたかを考えさせる。
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 きがへ同じものがたりに、きがえとり寄せて、きかえてと有り。こは着替えに設けたる衣の由なり。今の世に衣服すべてきがえと言うなるは、これより転りたるなり。
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『玉勝間』一の巻 服ぬぎの次第同記に云う、仁治三年二月廿六日、今夜左大臣殿、四条院の御服を除かしめ給うと云々、川原に於いて除かしめ給うべきの処、御蚊触の事出で来たり、御減有りと雖も、忽ち御河原の条、如何の由、医師計り申すの間、只門外に出ずるなり、吉服の御直衣を召し、御車に駕し、門外に出で、吉方に向かいて、除かしめ給うなり、政所先日の御帯を献ず、是より先に吉服の御装束を召し、御車に駕せしめ給う、其の後御帯を献ず、(伝え乱るるの人之を聞かず、尋ぬべし、)之を召し一結にて之を給う、(或る説、除服の時、また之を召さずと云う、吉方を忌むか、体尋ぬべし、)鈍色の御直衣一襲、陰陽師の前に置く、御車吉方に向け、榻を立て、次に禊を修す、次に家司兼〓朝臣〓〓大麻を伝え、便ち御贖物を撤し、陰陽師御帯を切り、河原に遣わして流し棄つるなり。
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