孟子 / 離婁章句上
樂正子從於子敖之齊。樂正子見孟子。孟子曰、子亦來見我乎。曰、先生何為出此言也。曰、子來幾日矣。曰、昔者。曰、昔者、則我出此言也、不亦宜乎。曰、舍館未定。曰、子聞之也。舍館定、然後求見長者乎。曰、克有罪。
新字:楽正子従於子敖之斉。楽正子見孟子。孟子曰、子亦来見我乎。曰、先生何為出此言也。曰、子来幾日矣。曰、昔者。曰、昔者、則我出此言也、不亦宜乎。曰、舎館未定。曰、子聞之也。舎館定、然後求見長者乎。曰、克有罪。
書き下し
樂正子、子敖に從いて齊に之く。樂正子、孟子に見ゆ。孟子曰く、「子も亦た來たりて我を見るか。」曰く、「先生何為れぞ此の言を出だすや。」曰く、「子來たること幾日ぞ。」曰く、「昔者なり。」曰く、「昔者ならば、則ち我、此の言を出だすも、亦た宜ならずや。」曰く、「舍館未だ定まらざればなり。」曰く、「子、之を聞けりや。舍館定まりて、然る後に長者に見ゆることを求むるか。」曰く、「克、罪有り。」 <語釈> ○「樂正子」、趙注:魯の人樂正克、孟子の弟子なり、齊の右師子敖に從う、子敖、使いして魯に之く、樂正子、之に随い、來たりて齊に之く。○「昔者」、趙注:「昔者」は往なり、數日の閒を謂う。
現代語訳
孟子の弟子の魯の樂正子が、齊の使者として魯に来ていた子敖が齊に帰るのに随行して齊に行った。そして齊に居る孟子にお目にかかった。すると孟子は言った。 「お前もやはり私に会いに来るか。」 「先生はどうしてそのような事をおっしゃるのですか。」 「お前は、こちらへ来て何日になる。」 「数日でございます。」 「数日も経つのなら、私がそのように言うのも当然ではないか。」 「宿舎が定まっていなかったらでございます。」 「お前は目上の人にお目にかかるのに、そんな礼があると教わったのかね。宿舎が決まってから挨拶に行くものだという礼を。」 「私が間違っておりました。」
解説
目上の人や大切な人を訪問する際、自分の状況や身の回りをきちんと整えてから挨拶に伺うのが礼儀です。この教えは、現代のビジネスや人間関係におけるマナーにも通じます。相手に敬意を示すためには、まず自分の足場を固め、落ち着いた状態で向き合う準備が必要です。親しい間柄であっても、礼儀や順序を軽んじず、状況に応じた適切な振る舞いを心がけることで、相手との信頼関係をより深めることができます。
この章句が説くこと
礼儀マナー敬意信頼関係
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