玉勝間 / 八の巻 佐渡国より金の出し事
宇治拾遺に、能登ノ國に、鐵をとる者、佐渡ノ國に、こがねの花咲たる所有と云ひて、金八千兩ばかりとりて、能登ノ守さねふさに奉りたる事見えたり。
新字:宇治拾遺に、能登ノ国に、鉄をとる者、佐渡ノ国に、こがねの花咲たる所有と云ひて、金八千両ばかりとりて、能登ノ守さねふさに奉りたる事見えたり。
書き下し
宇治拾遺に、能登の国に、鉄をとる者、佐渡の国に、こがねの花咲たる所有と云いて、金八千両ばかりとりて、能登の守さねふさに奉りたる事見えたり。
現代語訳
宇治拾遺物語に、能登国で鉄を採る者が、佐渡国に黄金の花が咲いている所があると言って、金を八千両ほど採って、能登守さねふさに献上したことが見える。
解説
佐渡の金が、中世の説話にすでに語られていることを書き留めた段である。宇治拾遺物語には、能登の鉄掘りの者が、佐渡に「こがねの花」が咲く所があると言って渡り、八千両ほどの金を掘り出して能登守に献じた話がある。「こがねの花咲く」は、万葉集で大伴家持が陸奥からの金の産出を寿いだ「天皇の御代栄えむと東なる陸奥山に金花咲く」を思わせる、黄金の産出を言う雅びな言い方である。佐渡の金山は、江戸時代に本格的に開かれ、幕府の財政を支える一大産地となっていた。宣長は、その佐渡の金が、はるか昔の説話にすでに語られていることに興味をもったのであろう。江戸の繁栄を支えた資源の歴史が、物語の中で遠く中世にまでつながっている。説話を、昔の暮らしと産業を伝える資料としても読む宣長の目が、ここでも生きている。
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