玉勝間 / 八の巻 菊の御文
葉室ノ大納言賴親ノ卿、右衛門ノ佐たりしほど、文應元年八月、新院石〓水御幸ノ記一卷あり。それに、御裝束をしるせる、赤色御袍、(窠文中菊八葉、蘇芳御下襲、同御半臂、有文御帶)と見ゆ。菊の御紋と云ふはかやうの文の、御例になりたる物にや。
新字:葉室ノ大納言頼親ノ卿、右衛門ノ佐たりしほど、文応元年八月、新院石〓水御幸ノ記一巻あり。それに、御装束をしるせる、赤色御袍、(窠文中菊八葉、蘇芳御下襲、同御半臂、有文御帯)と見ゆ。菊の御紋と云ふはかやうの文の、御例になりたる物にや。
書き下し
葉室の大納言頼親の卿、右衛門の佐たりしほど、文応元年八月、新院石清水御幸の記一巻あり。それに、御装束をしるせる、赤色の御袍(窠文の中に菊八葉、蘇芳の御下襲、同じく御半臂、有文の御帯)と見ゆ。菊の御紋と云うはかようの文の、御例になりたる物にや。
現代語訳
葉室大納言頼親卿が右衛門佐であった頃の、文応元年八月の「新院石清水御幸記」一巻がある。それに御装束を記した中に「赤色の御袍(窠の文様の中に八葉の菊、蘇芳の御下襲、同じく御半臂、文様のある御帯)」と見える。菊の御紋というのは、このような文様が先例となったものであろうか。
解説
皇室の紋章である菊の御紋の起こりを推した段である。一般に、菊の紋は鎌倉時代初め、菊を好んだ後鳥羽上皇が身の回りの品に菊の文様を用いたことに始まるとされる。宣長は、文応元年に新院、すなわち後深草上皇が石清水八幡宮に御幸した際の記録に、上皇の赤色の袍に八葉の菊の文様があったとあるのを見つけ、こうした装束の文様が先例となって御紋になったのではないかと推す。宣長は断定せず「にや」と問いの形にとどめるが、天皇家の象徴の起こりを、伝承ではなく同時代の装束の記録から考えようとしている。皇室を深く尊んだ宣長にとって、その御紋の由来は大切な関心事であったろう。象徴として定着したものも、はじめは好まれた文様の一つであったかもしれない。物事が象徴になっていく過程を、記録から具体的にたどる姿勢がうかがえる段である。
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