玉勝間 / 八の巻 梵語
烏の梵語を、迦迦(去引)迦と云ふ、鳴聲によれる名なり。鷄を矩羅倶吒と云ふ。くだかけのくだと、おのづから同じ。瓦を迦波羅と云ふ。
新字:烏の梵語を、迦迦(去引)迦と云ふ、鳴声によれる名なり。鶏を矩羅倶吒と云ふ。くだかけのくだと、おのづから同じ。瓦を迦波羅と云ふ。
書き下し
烏の梵語を、迦迦(去引)迦と云う、鳴声によれる名なり。鶏を矩羅倶吒と云う。くだかけのくだと、おのずから同じ。瓦を迦波羅と云う。
現代語訳
烏の梵語を「迦迦(去声で引く)迦(カーカ)」と言う。鳴き声による名である。鶏を「矩羅倶吒(クックタ)」と言う。「くだかけ」の「くだ」と自然に同じである。瓦を「迦波羅(カパーラ)」と言う。
解説
サンスクリットの語と日本語の語との、思いがけない似通いに目をとめた段である。梵語では烏を「カーカ」と言い、これは鳴き声からの名である。鶏は「クックタ」で、鶏を言う日本の古語「くだかけ」の「くだ」と音が似ている。瓦は「カパーラ」で、宣長は何も言い添えないが、日本語の「かわら」とよく似ている。瓦は仏教とともに大陸から伝わった技術であり、「かわら」の語が梵語に由来するという説は今もある。宣長は、鳥の名が鳴き声から生まれることは国を問わず同じだと見ており、「くだかけ」との一致も「おのずから同じ」と、借用ではなく自然の一致として捉えている。異なる言葉の間に響き合いを見つける楽しさと、それを借用と偶然とに見分ける慎重さの両方が表れている。
関連する章句
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