玉勝間 / 四の巻 聖武天皇の菊ノ花の御歌
續古今集賀に、聖武天皇ノ御製とて、「ももしきにうつろひわたる菊の花にほひぞまさる萬代の秋、と云へる歌あり。奈良ノ宮のころ、菊を詠める例無し。よし其れは有りもしてむ、此歌はさらにそのかみのふりに有らず、いたく後のさまなり。
新字:続古今集賀に、聖武天皇ノ御製とて、「ももしきにうつろひわたる菊の花にほひぞまさる万代の秋、と云へる歌あり。奈良ノ宮のころ、菊を詠める例無し。よし其れは有りもしてむ、此歌はさらにそのかみのふりに有らず、いたく後のさまなり。
書き下し
続古今集賀に、聖武天皇の御製とて、「ももしきにうつろいわたる菊の花においぞまさる万代の秋、と云える歌あり。奈良の宮のころ、菊を詠める例無し。よしそれは有りもしてむ、この歌はさらにそのかみのふりに有らず、いたく後のさまなり。
現代語訳
続古今集の賀の部に、聖武天皇の御製として「宮中に色変わりしてゆく菊の花は、その美しさがいっそう増してゆく、万代まで続く秋に」という歌がある。奈良の都の頃には、菊を詠んだ例はない。仮にそれはあったとしても、この歌はまったく当時の歌の風ではなく、ひどく後の時代の姿である。
解説
続古今集に聖武天皇の御製として載る菊の歌を、後世の作だと見抜いた一段である。宣長の根拠は二つある。一つは、奈良時代の歌に菊を詠んだ例がないこと。万葉集には菊を詠んだ歌が見えず、菊が歌に盛んに詠まれるのは平安時代に入ってからである。もう一つは、たとえ菊を詠んだ例があったとしても、この歌の詞や調べが奈良の頃の歌風とまるで違い、ずっと後の時代の姿をしていることだ。勅撰集に天皇の御製として採られていても、宣長は権威に従わず、歌そのものの姿で年代を判断する。万葉集を読み込み、時代ごとの歌の風を身につけていたからこそできる鑑定である。書かれた作者名よりも、作品そのものが語る時代を信じる。資料批判の確かな手本と言える段である。
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