玉勝間 / 八の巻 厨子
佛の像をいれおく物を、厨子と云ふこと、同記に、同年三月廿日、〓涼殿仁王八講、御裝束をしるせる所にいはく、安置五大力佛殿於其中。(件佛殿厨子也、蒔繪如螺鈿、云云。)
新字:仏の像をいれおく物を、厨子と云ふこと、同記に、同年三月廿日、〓涼殿仁王八講、御装束をしるせる所にいはく、安置五大力仏殿於其中。(件仏殿厨子也、蒔絵如螺鈿、云云。)
書き下し
仏の像をいれおく物を、厨子と云うこと、同じ記に、同じ年三月二十日、清涼殿の仁王八講、御装束をしるせる所に曰わく、五大力の仏殿を其の中に安置す(件の仏殿は厨子なり、蒔絵螺鈿の如し、云云)。
現代語訳
仏像を納めておくものを「厨子」ということが、同じ日記(左経記)に、同じ年の三月二十日、清涼殿の仁王八講の御装束(しつらい)を記したところに、「五大力菩薩の仏殿をその中に安置した(その仏殿は厨子である。蒔絵螺鈿のようである、云々)」とある。
解説
仏像を納める扉付きの箱「厨子」の古い用例を、左経記から拾った段である。厨子は、もとは中国で食物や道具を収める棚や箱を言う語で、日本では奈良時代から書物や宝物を収める調度の名としても使われた。法隆寺の玉虫厨子がよく知られるように、仏像を安置するものも厨子と呼ばれた。左経記の記事では、清涼殿で行われた仁王八講の法会に、五大力菩薩を納めた「仏殿」が据えられ、それは蒔絵や螺鈿で飾られた厨子であったと注されている。仁王八講は、国家の安泰を祈って仁王経を講じる法会で、五大力菩薩はその経を守る菩薩である。宣長は、仏像を納めるものを厨子と呼ぶ用法が、平安時代の宮中の記録にすでに見えることを確かめた。江戸時代には家々の仏壇にも厨子が置かれていた。身近な仏具の名にも、宮中の華やかな法会の記録につながる歴史がある。
関連する章句
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