玉勝間 / 六の巻 客殿
吉部秘訓抄に、文治二正十、同記云、大夫史廣房入來、先立中門外、予出客殿とあり。客殿と云ふこと、その頃も有りしなり。
新字:吉部秘訓抄に、文治二正十、同記云、大夫史広房入来、先立中門外、予出客殿とあり。客殿と云ふこと、その頃も有りしなり。
書き下し
吉部秘訓抄に、文治二、正、十、同記に云う、大夫史広房入り来る、先ず中門の外に立つ、予客殿に出ず、とあり。客殿と云うこと、その頃も有りしなり。
現代語訳
吉部秘訓抄に、文治二年正月十日の同じ記に「大夫史広房が来た。まず中門の外に立った。私は客殿に出た」とある。客殿ということが、そのころにもあったのである。
解説
来客を迎える建物を客殿と呼ぶことが、鎌倉時代の初めにすでにあったことを示す短い一段である。吉部秘訓抄は、藤原経房の日記吉記などから故実を抜き出した書で、文治二年(1186)の記事に「予客殿に出ず」とある。客殿は宣長の時代には寺院の建物の名としてよく知られていたから、その言葉がいつから使われていたかを確かめたのだろう。建物や部屋の呼び名は、住まいの形とともに移り変わる。今も使われる言葉の古い用例を一つ一つ拾っておくことが、昔の暮らしの姿を復元する材料になる。玉勝間に多いこうした短い書き留めは、宣長の読書の手控えでもある。
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