玉勝間 / 八の巻 三ッぐそく
佛の具に、三ッ具足と云ふ物有リ。二條ノ良基ノおとどの書かせ給へる、雲ゐのみのりと云ふ物に、銀のみつ具足と見えたり。
新字:仏の具に、三ッ具足と云ふ物有リ。二条ノ良基ノおとどの書かせ給へる、雲ゐのみのりと云ふ物に、銀のみつ具足と見えたり。
書き下し
仏の具に、三つ具足と云う物有り。二条の良基のおとどの書かせ給える、雲いのみのりと云う物に、銀のみつ具足と見えたり。
現代語訳
仏具に「三具足(みつぐそく)」というものがある。二条良基公がお書きになった「雲井の御法」というものに「銀の三具足」と見える。
解説
仏前に供える香炉・花瓶・燭台の一揃いを「三具足(みつぐそく)」と呼ぶことが、南北朝時代の書物に見えることを書き留めた段である。二条良基は南北朝時代の関白で、連歌の大成者として知られ、宮廷の儀式や行事を記した仮名の記録も多く残した。雲井の御法は、宮中で行われた仏事の様子を記したものと考えられる。三具足は室町時代に座敷飾りとともに広まり、江戸時代には家々の仏壇にも欠かせないものとなっていた。宣長は、その呼び名が宮中の仏事の記録にすでに見えることに目をとめ、銀製の三具足が用いられた華やかな仏事の一端を伝える。宣長は仏教の教えには批判的であったが、仏具や法会の呼び名も、言葉と習俗の歴史の一部として分け隔てなく記録している。身近な仏具の呼び名にも、宮廷の儀礼につながる歴史があることを教える段である。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 厨子仏の像をいれおく物を、厨子と云うこと、同じ記に、同じ年三月二十日、清涼殿の仁王八講、御装束をしるせる所に曰わく、五大力の仏殿を其の中に安置す(件の仏殿は厨子なり、蒔絵螺鈿の如し、云云)。
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