玉勝間 / 八の巻 ある人の云へること
ある人の、古學を、儒の古文辭家の言にさそはれて出できたる物なりと云へるは、ひが事なり。わが古學は、契沖早くそのはしを開らけり。かの儒の古學と云ふことの始めなる、伊藤氏など、契沖と大かた同じ頃と云ふうちに、契沖はいささか先だち、かれは遲れたり。荻生氏は、又おくれたり。いかでか彼れにならへる事あらむ。
新字:ある人の、古学を、儒の古文辞家の言にさそはれて出できたる物なりと云へるは、ひが事なり。わが古学は、契沖早くそのはしを開らけり。かの儒の古学と云ふことの始めなる、伊藤氏など、契沖と大かた同じ頃と云ふうちに、契沖はいささか先だち、かれは遅れたり。荻生氏は、又おくれたり。いかでか彼れにならへる事あらむ。
書き下し
ある人の、古学を、儒の古文辞家の言にさそわれて出できたる物なりと云えるは、ひが事なり。わが古学は、契沖早くそのはしを開けり。かの儒の古学と云うことの始めなる、伊藤氏など、契沖と大かた同じ頃と云ううちに、契沖はいささか先だち、かれは遅れたり。荻生氏は、又おくれたり。いかでか彼れにならえる事あらむ。
現代語訳
ある人が、わが古学を、儒学の古文辞学派の説に誘われて出てきたものだと言ったのは誤りである。わが古学は、契沖が早くその端緒を開いた。あの儒学の古学ということの始まりである伊藤氏(伊藤仁斎)などは、契沖とおおかた同じ頃とはいうものの、契沖が少し先立ち、彼は遅れている。荻生氏(荻生徂徠)はさらに遅れている。どうして彼らにならったことがあろうか。
解説
国学の成り立ちをめぐる世評に、宣長がはっきり反論した段である。当時、国学は荻生徂徠の古文辞学、つまり後世の注釈を捨てて古代の言葉そのものから聖人の道を知ろうとする儒学の方法にならって生まれたものだ、という見方があった。宣長はこれを否定し、国学の端緒を開いたのは契沖であり、儒学の古学を始めた伊藤仁斎よりわずかに早く、徂徠はさらに後だと、年代を挙げて反論する。契沖は万葉代匠記で、古語の用例に基づいて万葉集を読み解く方法を切り開いた真言僧で、宣長は若い頃にその著作に触れて学問の目を開かれた。今日の研究では、古典の言葉そのものに還るという発想を、儒学の古学と国学とが同じ時代の流れとして共有していたことも指摘されている。宣長の反論には、自分の学問の自立を守ろうとする強い誇りが読み取れる。
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 あがたゐのうしは古、学のおやなる事からごころをきよくはなれて、もはら古のこころ詞をたづぬるがくもんは、わが県居の大人よりぞはじまりける。この大人の学の、いまだおこらざりしほどの世の学問は、歌もただ古今集よりこなたにのみとどまりて、万葉などは、ただいと物どおく、心も及ばぬ物として、さらにその歌の善き悪しきを思い、古き近きをわきまえ、またその詞を、今のおのが物としてつかう事などは、すべて思いも及ばざりし事なるを、今はその古言をおのがものとして、万葉ぶりの歌をも詠み出で、古ぶりの文などをさえ、書きうることとなれるは、もはらこのうしのおしえのいさおにぞ有りける。今の人は、ただおのれみづから得たるごと思うめれど、みなこの大人の御蔭によらずと云うこと無し。また古事記・書紀などの、古典をうかがうにも、漢意にまどわされず、まづもはら古言を明らめ、古意によるべきことを、人みな知れるも、このうしの万葉のおしえのみたまにぞ有りける。そもそも斯かるたふとき道を、開らき初められたるいそしみは、世にいみしきものなりかし。
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『玉勝間』二の巻 又この近き年頃となりては、ようように古学のよき事を、世にも知れるともがらあまた出で来て、物よくわきまえたる人は、多く契沖をたっとむめり。そもそも契沖のよき事を知る者ならば、かれよりもわが縣居の大人の、また勝りてよき事は、おのずから知るらんに、猶契沖にしもとどまりて、今一きざみえすすまざるは、いかにぞや。また縣居の大人までは、すすめども、その後の人の説は、猶とらじとするも、同じ事にて、これみな俗にまけ惜しみとか云うすじにて、心ぎたなきわざなるを、必ず学者の心は、多くさるものなりかし、
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『玉勝間』一の巻 がくもん世の中に学問と云うは、からぶみ学びの事にて、皇国の古をまなぶをば、分けて神学・倭学・国学など云うなるは、例のから国をむねとして、御国をかたわらに成せる云いざまにて、いといとあるまじきことなれども、古はただから書学びのみこそ有りけれ、御国の学びとては、もはらとする者は無かりしかば、おのづから然か云いならうべき勢いなり。しかは有れども、近き世となりては、皇国のをもはらとするともがらも多かれば、からぶみ学びをば、分けて漢学・儒学と云いて、この皇国のをこそ、うけばりてただに学問とは云うべきなれ。仏学なども、他よりは分けて仏学と云えども、法師のともは、それをなむただに学問とは云いて、仏学とは云わざる、これ然るべきことわりなり、国学と云えば、尊ぶかたにもとりなさるべけれど、国の字も事にこそよれ、なおうけばらぬ云いざまなり。世の人の物云いざま、すべて斯かる詞に、内外のわきまえを知らず、外国を内になしたる言のみ常に多かるは、からぶみをのみ読みなれたるからの、ひがことなりかし。
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うひ山ぶみ・注[ヲ]釈日本紀おのづからめづらしき古書の、世に埋れたるも、顕れ出る有リ、又それにつきては、偽書も多く出るを、その真偽は、よく見る人は、見分れども、初学の輩などは、え見分ねば、偽書によくはからるゝ事あり、心すべし、されば初学のほどは、めづらしき書を得んことをば、さのみ好むべからず、古事記伝云々、みづから著せる物を、かくやむことなき古書どもにならべて挙るは、おふけなく、つゝましくはおぼゆれども、上にいへるごとくにて、上代の事を、くはしく説示し、古学の心ばへを、つまびらかにいへる書は、外になければぞかし、されば同じくは此書も、二典とまじへて、はじめより見てよろしけれども、巻数多ければ、こゝへはまはしたる也、古学の輩の、古学とは、すべて後世の説にかゝはらず、何事も、古書によりて、その本を考へ、上代の事を、つまびらかに明らむる学問也、此学問、ちかき世に始まれり、契沖ほふし、歌書に限りてはあれど、此道すぢを開きそめたり、此人をぞ、此まなびのはじめの祖ともいひつべき、次にいさゝかおくれて羽倉ノ大人、
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『玉勝間』十の巻 物まなびの心ばへ皇国の学びとて、ことにする事は無くて、昔は、ただから学びをのみしける程に、世々をふるままに、古えの事は、ようようにうとくのみ成りゆき、から国の事は、ようように親しくなりもて来つつ、ついにその心は、もはらからざまにうつり果てて、上つ代の事は、物の意はさらにも云わず、言葉だに、聞きしらぬ異国のさえずりを聞くがごと、物うとくぞなりにける。かくて後にいたりて、皇国の学を、もはらとする事も始まりつれども、しか漢意の、久しくしみ附きたる人心にし有れば、ただ名のみこそ、みくにの学びには有りけれ、云いと云い、思いと思う事は、なおみなからにぞ有りけるを、みずからも、さは覚えざるなめり。されば近き世、学びの道ひらけて、万づさかしくなりぬるにつけても、なかなかにそのからごころのみ、深く盛りには成りて、古の意は、いよいよ遥かになむなりにけるを、この近き頃になりてぞ、そこに心つきぬる人の出で来そめて、世は皆からなる事をさとりて、人も我も、古えの心をたずぬる道の、明り初めぬる、しかすがに神直毘大直毘の神のましましける世は、なお行くさきいと頼もしくなむ。
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『玉勝間』二の巻 ふみども今は得やすくなれる事二三十年あなたまでは、歌まなびする人も、ただ近き世の歌ぶみをのみ学びて、万葉をまなぶ事無く、また神学者と云う物も、ただ漢ざまの理をのみさだして、古のまことのこころを得むことを思わねば、万葉をまなぶ事無くて、すべて万葉は、歌まなびにも、道の学びにも、必ずまずまなばでかなわぬ書なる事を、知れる人無かりき。されば、契沖ほうし、むねとこの集を明らめて、古の意をもかつがつうかがいそめて、はしばし云いおきつれども、歌人も神学者も、このしるべによるべき事を知れる人無かりしかば、おのが若くて、京に在りし頃などまでは、代匠記と云う物の有る事をだに知れる人も、おさおさ無かりければ、その書世にまれにして、いといと得がたく、かの人の書は、百人一首の改観抄だに、得がたかりしを、そのかみおのれ京にて、始めて人に借りて見て、買わばやと思いて、本屋をたずねたりしに、無かりき。板本なるにいかなれば無きぞと問いしかば、ようずる人無き故に、すり出ださずとぞ云えりける。さてとかくして、からくしてぞ得たりける。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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