玉勝間 / 八の巻 明明日
明後日のことを、小右記に、明明日と、ところどころに見えたり。
書き下し
明後日のことを、小右記に、明明日と、ところどころに見えたり。
現代語訳
明後日のことを、小右記に「明明日」と、ところどころに見える。
解説
明後日を「明明日」と書いた例が、平安時代中期の藤原実資の日記小右記に見えることを記した短い段である。小右記は、道長の栄華の時代を批判的な目も交えて記録した日記で、半世紀以上にわたる詳しい記述で知られる。明日の次の日を、明日をもう一つ重ねて「明明日」と書くのは、理屈にかなった分かりやすい書き方である。現代語では明後日の次の日を「明明後日(しあさって)」と書き、そこにも「明」を重ねる発想が生きている。宣長は、漢字の熟語として一般的な「明後日」とは別に、日記という実用の文章の中で、こうした素朴な言い方が使われていたことに目をとめた。記録を書く人々が、決まった字面にとらわれず、分かりやすさを優先して字を組み合わせていたことがうかがえる。言葉は辞書の中ではなく、書き手の日々の工夫の中で生きていることを示す一例である。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 まにあはぬ又間にあわぬと云う事も、是れに見えたり。近き世の言には有らず。
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