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玉勝間 / 八の巻 はやると云ふ言

大鏡に、堀川の攝政のはやり給ひし時に、此東三條殿は、御つかさをもとどめられさせ給ひて、いとからくおはしましし時に云云、と有り。はやるは、榮ゆる事と聞えたり、今の世に云ふとは、やや心ばへことなり。

新字:大鏡に、堀川の摂政のはやり給ひし時に、此東三条殿は、御つかさをもとどめられさせ給ひて、いとからくおはしましし時に云云、と有り。はやるは、栄ゆる事と聞えたり、今の世に云ふとは、やや心ばへことなり。

書き下し

大鏡に、堀川の摂政のはやり給いし時に、此東三条殿は、御つかさをもとどめられさせ給いて、いとからくおわしましし時に云云、と有り。はやるは、栄ゆる事と聞えたり、今の世に云うとは、やや心ばえことなり。

現代語訳

大鏡に「堀川の摂政(藤原兼通)が時めいておられた時に、この東三条殿(藤原兼家)は官職も止められなさって、たいそうつらい境遇でいらした時に云々」とある。「はやる」は栄えることと聞こえる。今の世に言うのとは、やや趣が異なる。

解説

「はやる」という語の意味の変化を、大鏡の用例から示した段である。大鏡は、藤原道長の栄華に至る摂関家の歴史を、老人の昔語りの形で描いた歴史物語である。堀川の摂政藤原兼通と、その弟の東三条殿兼家は激しく争った兄弟で、兼通が権勢を振るう間、兼家は官職を止められて不遇をかこった。この「はやり給ひし」は、人が時めき栄えることを言っている。今の「流行る」は、物事や病気が世に広がることを言う。宣長は「やや心ばえことなり」と控えめに記し、同じ語が人の勢いから物の広がりへと意味を移していったことを示す。勢いのある人がもてはやされることと、物がもてはやされることとは地続きでもある。言葉の意味が時代とともにずれていくさまを一つの用例から見せてくれる段であり、古典を今の意味で読む危うさにも気づかせる。

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