玉勝間 / 八の巻 ひだのたくみ
いにしへ飛彈國より、匠おほく出たりし故に、必ず其國のならねど、匠をば、ひだのたくみとなむ云ひける。もろこしにも、似たる事あり。史記の灌嬰と云ふが傳に、斬樓煩將五人、と云へる注に、樓煩縣名、其人善騎射、故以名射士爲樓煩、取其美稱、未必樓煩人也。
新字:いにしへ飛弾国より、匠おほく出たりし故に、必ず其国のならねど、匠をば、ひだのたくみとなむ云ひける。もろこしにも、似たる事あり。史記の灌嬰と云ふが伝に、斬楼煩将五人、と云へる注に、楼煩県名、其人善騎射、故以名射士為楼煩、取其美称、未必楼煩人也。
書き下し
いにしえ飛騨国より、匠おおく出たりし故に、必ず其国のならねど、匠をば、ひだのたくみとなむ云いける。もろこしにも、似たる事あり。史記の灌嬰と云うが伝に、楼煩の将五人を斬る、と云える注に、楼煩は県の名、其の人騎射を善くす、故に射士を名づけて楼煩と為す、其の美称を取る、未だ必ずしも楼煩の人ならず。
現代語訳
昔、飛騨国から大工が多く出たので、必ずしもその国の者でなくても、大工を「飛騨の匠」と言った。中国にも似たことがある。史記の灌嬰という人の伝に「楼煩の将五人を斬った」とある注に、「楼煩は県の名で、その土地の人は騎射を得意とした。それで射手を名づけて楼煩とした。その美称を取ったのであって、必ずしも楼煩の人とは限らない」とある。
解説
腕のよい大工を、出身を問わず「飛騨の匠」と呼んだ習いを、中国の似た例と並べた段である。古代の律令制では、飛騨国は税の代わりに大工を都へ送る定めがあり、飛騨の工匠は宮殿や寺院の造営に携わった。その腕前が評判となり、やがて「飛騨の匠」は名工の代名詞になった。宣長は、史記の注に、騎射に長けた楼煩の地名が、出身を問わず射手の呼び名になった例があるのを見つけ、同じ仕組みだと指摘する。漢意を批判した宣長だが、言葉の成り立ちの共通の型を示すためには、中国の例も素直に引いている。地名が職能や品質の代名詞になるのは、今でも産地の名がそのまま品物の名になる例に見られる。言葉が、人々の評判や信頼を映し出す鏡であることを教える段である。
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