玉勝間 / 六の巻 めかかう
大鏡に、たかうなの皮を、をとこのおよびごとに入れて、めかかうして、ちごをおどせば、かほあかめて、ゆゆしうおぢたると有る。めかかうは、今の世に云ふべかかうなるべし。
書き下し
大鏡に、たこうなの皮を、おとこのおよびごとに入れて、めかこうして、ちごをおどせば、かおあかめて、ゆゆしゅうおじたると有る。めかこうは、今の世に云うべかこうなるべし。
現代語訳
大鏡に「筍(たかうな)の皮を男が指ごとにはめて、めかこうをして幼子を脅すと、(幼子は)顔を赤くして、ひどく怖がった」とある。「めかこう」は、今の世でいう「べかこう」であろう。
解説
大鏡の一場面に出てくる「めかかう」という語を、宣長の時代の俗語「べかかう」に当てた短い一段である。筍の皮を指にはめて、目を剥いたような顔をして子どもを脅かすと、子どもが顔を赤くして怖がった、という場面で、今でいう「あかんべえ」のような仕草と考えられる。宣長は、平安の貴族社会を描いた歴史物語に、今の子どもの遊びにも通じる言葉を見つけ、その連続を指摘している。古典の言葉は難しいものばかりではなく、今の暮らしの言葉とつながっているものも多い。千年前の大人も、子どもをからかって顔をしかめて見せていたと思うと、古典の中の人物が急に身近になる。
関連する章句
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