玉勝間 / 五の巻 かんでの小路
勘解由ノ小路を、大鏡に、かんでのこうぢと有り。
書き下し
勘解由の小路を、大鏡に、かんでのこうじと有り。
現代語訳
勘解由小路(かげゆのこうじ)を、『大鏡』には「かんでのこうじ」と書いてある。
解説
京の通りの名「勘解由小路」の古い読み方を、『大鏡』から拾った一行だけの段である。勘解由使という役所があったことに由来する通り名で、ふつうは「かげゆのこうじ」と読む。ところが平安後期の歴史物語『大鏡』には「かんでのこうじ」と仮名で書かれている。「かげゆ」が音便で縮まり、「かんで」と発音されていたことがわかる。漢字で書かれた地名は、実際にどう発音されていたかが文字の上からは見えない。仮名で書かれた物語は、その当時の生きた発音を伝える貴重な証拠になる。宣長はこうした一語の記録も見逃さずに書き留めた。言葉は書かれた形と話された形がずれていくものであり、その痕跡は思いがけない所に残っているという気づきを与える段である。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 かなごよみ同じ物語に、かな暦と云う事あり、昔は真名と仮字との暦有りしにや。さて又暦に、神仏に善しと云う日あり。今の暦本に、神よしとしるせるは、是れなるべし。又かん日くえ日など、日の善き悪しきをしるせる事も見えたり。
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『玉勝間』六の巻 大和大路同じ記、仁治三年の所に、大和大路と見えたり。明月記にも見ゆ。すなわち今の、川東なる大和大路なるべし。
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『玉勝間』九の巻 人ノ名を文字音に云ふ事人の名を、世に文字の音にて呼びならえる事、古くは、時平の大臣、多田の満仲、源の頼光、安倍の晴明などのごとき有り。やや後には、俊成卿・定家卿、家隆卿、鴨の長明など、もはら文字ごえにのみ云いならえり。琵琶ほうしの、平家物語を語るを聞くに、常にはさもあらぬ、もろもろの人の名どもも、多くは文字ごえに物すなるは、当時ことに、世の中にさかりなりし事なめり。
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『玉勝間』一の巻 官名の事中昔の書どもには、おおきおおいもうちぎみ、またはおおきおとどなど云えるは、右の訓あまり長き故に、政の字をのぞきたる訓なり。また左右大臣は、於保伊万智岐美と有るも、官名につきてもうけられたる訓なり。ただし万豆岐美、万宇智岐美は、古の称にて、麻都岐美なるを、音便に然か云うなり。まえつぎみと云う事、書紀の景行の巻の歌に見えたり。さて和名抄には、右のごとく万宇智岐美と有るを、北山抄・江次第などに、末布知君・万不地起牟多地など書かれたるは、布不は仮字たがいたり。すべて音便に宇と唱うるは、みな宇の仮字なりと心得べし。大納言・中納言・参議・少納言、みな漢字を以てつけられたる官にて訓は字につきてもうけたるなり。弁は於保止毛比、これは上つ代よりの官名と聞こえたり。意はいかなるにか、いまだ考え得ず字もいかなる意をもてあてられたるにか、さだかならず。西宮記・北山抄・小右記などに、大輌火之官と書かれたるは借り字なり。外記・内記・大史・少史・史生・官掌など、皆漢ざまなり。もろもろのつかさの長官を、美加と云うは古なり。次官を須気と云うも古きか、判官を万豆利古止比止と云うは、もうけたる訓なり。佐官は訓見えず。
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