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玉勝間 / 六の巻 国造

いにしへに國造と云ひしは、今の世のごと、大きにこそ有らざりけめ、大かた何事も、大名の如くなる物にて、國國に多く有しなり。それが中に、國造、また君、また別、又直、又稱置、また縣主など云ふ、色色の有て、尊き卑きけぢめも有つるを、そのけぢめは、さだかに記せる物無ければ、いづれ尊く、何れ卑かりけむ。今ことごとくは、わきまへがたけれど、大かたは皆、國造と同じさまなる物にて、此ノ色色を一つにすべても、國ノ造と云へりき。書紀などに、伴造國造などあるは、かの色色をすべて、一つに國ノ造と云へるなり。さてもろこしの國にも、古へ封建の制とか云ひし代の、諸侯と云ふ物、これによく似たり。其諸侯に、五等の爵とて、公侯伯子男と、五きざみのしな有し、其れはた國ノ造、君、別などの色色有りしに似たり。其五しなの中の一つの名をとりて、すべて諸侯と云ひしも、又すべてをも國ノ造と云ひしに似たり。もろこしの事は、かの國の學びするともがらは、此諸侯の、五しなの事など、誰れもよく知れるを、皇國の古へのさまをば、かへりてよく知れる人無くて國ノ造の中に、かのくさぐさのしな有しをも知らず、又かの色色は、いかなるさまの物なりしとも知らで在るは、いかにぞや。

新字:いにしへに国造と云ひしは、今の世のごと、大きにこそ有らざりけめ、大かた何事も、大名の如くなる物にて、国国に多く有しなり。それが中に、国造、また君、また別、又直、又称置、また県主など云ふ、色色の有て、尊き卑きけぢめも有つるを、そのけぢめは、さだかに記せる物無ければ、いづれ尊く、何れ卑かりけむ。今ことごとくは、わきまへがたけれど、大かたは皆、国造と同じさまなる物にて、此ノ色色を一つにすべても、国ノ造と云へりき。書紀などに、伴造国造などあるは、かの色色をすべて、一つに国ノ造と云へるなり。さてもろこしの国にも、古へ封建の制とか云ひし代の、諸侯と云ふ物、これによく似たり。其諸侯に、五等の爵とて、公侯伯子男と、五きざみのしな有し、其れはた国ノ造、君、別などの色色有りしに似たり。其五しなの中の一つの名をとりて、すべて諸侯と云ひしも、又すべてをも国ノ造と云ひしに似たり。もろこしの事は、かの国の学びするともがらは、此諸侯の、五しなの事など、誰れもよく知れるを、皇国の古へのさまをば、かへりてよく知れる人無くて国ノ造の中に、かのくさぐさのしな有しをも知らず、又かの色色は、いかなるさまの物なりしとも知らで在るは、いかにぞや。

書き下し

いにしえに国造と云いしは、今の世のごと、大きにこそ有らざりけめ、大かた何事も、大名のごとくなる物にて、国々に多く有りしなり。それが中に、国造、また君、また別、また直、また稲置、また県主など云う、色々の有りて、尊き卑しきけじめも有りつるを、そのけじめは、さだかに記せる物無ければ、いずれ尊く、いずれ卑しかりけむ。今ことごとくは、わきまえがたけれど、大かたは皆、国造と同じさまなる物にて、この色々を一つにすべても、国の造と云えりき。書紀などに、伴造国造などあるは、かの色々をすべて、一つに国の造と云えるなり。さてもろこしの国にも、古え封建の制とか云いし代の、諸侯と云う物、これによく似たり。その諸侯に、五等の爵とて、公侯伯子男と、五きざみのしな有りし、それはた国の造、君、別などの色々有りしに似たり。その五しなの中の一つの名をとりて、すべて諸侯と云いしも、またすべてをも国の造と云いしに似たり。もろこしの事は、かの国の学びするともがらは、この諸侯の、五しなの事など、誰もよく知れるを、皇国の古えのさまをば、かえりてよく知れる人無くて国の造の中に、かのくさぐさのしな有りしをも知らず、またかの色々は、いかなるさまの物なりしとも知らで在るは、いかにぞや。

現代語訳

古に国造といったのは、今の世ほど大きくはなかったであろうが、おおよそ何事も大名のようなものであって、国々に多くあったのである。その中に、国造、また君、また別、また直、また稲置、また県主などという、いろいろな種類があって、尊い卑しいの区別もあったのだが、その区別ははっきり記したものがないので、どれが尊く、どれが卑しかったのだろうか。今ではことごとくは見分けがたいけれども、おおかたはみな国造と同じようなものであって、このいろいろを一つにまとめても国造と言ったのである。日本書紀などに「伴造・国造」などとあるのは、あのいろいろをすべて一つに国造と言ったのである。さて唐の国にも、古に封建の制とかいった時代の諸侯というものが、これによく似ている。その諸侯に五等の爵といって、公・侯・伯・子・男と五段階の品があったのは、これもまた国造・君・別などのいろいろがあったのに似ている。その五つの品の中の一つの名を取ってすべてを諸侯と言ったのも、またすべてを国造と言ったのに似ている。唐のことについては、あの国の学問をする者たちは、この諸侯の五つの品のことなど誰もよく知っているのに、皇国の古のありさまについては、かえってよく知っている人がなく、国造の中にあのさまざまの品があったことも知らず、またあのいろいろがどのようなものであったかも知らないでいるのは、どういうことか。

解説

古代の地方の首長である国造について、その中に君・別・直・稲置・県主などの種類があったことを説き、中国の封建諸侯の五等爵になぞらえた一段である。君・別・直などは、今日の研究でいうカバネとも重なる称号で、宣長はそれらを総称して国造と言ったと見る。そのうえで、漢学者たちは中国の公侯伯子男はよく知っているのに、自国の古の制度はかえって知らない、と嘆く。宣長の漢意批判は、中国の学問そのものを否定するより、自国の古を顧みない学問の偏りに向けられることが多い。遠くのことには詳しいのに、足もとのことを知らないという偏りは、今の学びにもしばしば見られるものである。

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