玉勝間 / 八の巻 貴下
今世に、せうそこ文の當名のかたはらに、貴下と書こと有り。台記に、足下など云ふべき所に、貴下と書かれたること所所に見えたり。
新字:今世に、せうそこ文の当名のかたはらに、貴下と書こと有り。台記に、足下など云ふべき所に、貴下と書かれたること所所に見えたり。
書き下し
今世に、しょうそこ文の当名のかたわらに、貴下と書くこと有り。台記に、足下など云うべき所に、貴下と書かれたること所々に見えたり。
現代語訳
今の世に、手紙の宛名のわきに「貴下」と書くことがある。台記(藤原頼長の日記)に、「足下」などと言うべき所に「貴下」と書かれていることがあちこちに見える。
解説
手紙の宛名に添える「貴下」が、平安時代末の藤原頼長の日記にすでに見えることを示した段である。台記の筆者頼長は、学問に秀でて「日本第一の大学生」と称された人で、保元の乱に敗れて命を落とした。宣長は、漢籍で相手を敬って呼ぶ「足下」の代わりに、頼長が「貴下」を用いている例を見出し、江戸の書簡の作法がそこまで遡ることを確かめた。手紙の書式や敬語の決まりは、時代とともに移りながらも驚くほど長く受け継がれる。宣長は各地の門人と膨大な書簡をやり取りした人であり、手紙の作法にも関心が深かったのだろう。近代にも「貴下」は相手を敬う呼び方として使われたが、今ではほとんど見かけなくなった。手紙の作法そのものが薄れつつある今、その古さを知っておくことは、言葉の礼儀の歴史をたどる手がかりになる。
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 人をさして貴殿と云ふ事又某ノ国の住人と云ふ事同じ記、同じ年の所に、人をさして、貴殿と云えること見えたり。また筑前の国志麻の郡の住人、文室の忠光、同じ国怡土の郡の住人、多治の久明などあり。住人と云う事も、やや古しかし。
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『玉勝間』七の巻 頼長公の印の事同記に、文章博士茂明朝臣に仰せて、印の字様を勘えしむ、(これ頼の字の古文なり、名の上の字を用うる例なり、)云々、印、(銅を以て之を鋳る)方一寸九分、高さ一寸八分、壺、(銅を以て之を鋳る、)その形小桶のごとし、身、(口径三寸七分、牙の下を指して之を言う、)深さ一寸七分、蓋、(口径身に同じ、深さ三分)。
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『玉勝間』七の巻 人人御中書状のおくに、同書に、進上二条殿人々御中など有り、またあて名は無くて、ただ人々御中とのみ有るも有
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『玉勝間』八の巻 口状三代実録十三の巻、宣命の中に、口状と云うこと有り、今の世に口上と云うは是れなり。口状を口上と書くは、物語書に、几帳を几丁、本性を本上と書けるたぐいなり。
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『玉勝間』十二の巻 拙者同じ記に、みずから拙者と云える事も見えたり。
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『玉勝間』五の巻 さうかふの字台記別記、藤原多子名字勘文に、そもそも後宮、草合に従う字をもって名となすの人、贈后茂子・茨子等、皇胤において吉例なり。と有り。艸を草合と書かれたり。
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