玉勝間 / 八の巻 一日のほどに一切経を写せし事
中右記云、嘉保三年三月十八日、今日京中上下萬人、一日之中、書寫一切經、是有一聖人、得夢想告、進催人人、於各家令書寫、則供養了、送聖人許者、依爲大善根、聊所記置也と有り。これ數萬人して物せむには、たやすかるべきわざながら、さばかりの物を、一日が程に、寫しをへけむは、猶珍らしきわざなれば、我も記し置くなり。
新字:中右記云、嘉保三年三月十八日、今日京中上下万人、一日之中、書写一切経、是有一聖人、得夢想告、進催人人、於各家令書写、則供養了、送聖人許者、依為大善根、聊所記置也と有り。これ数万人して物せむには、たやすかるべきわざながら、さばかりの物を、一日が程に、写しをへけむは、猶珍らしきわざなれば、我も記し置くなり。
書き下し
中右記に云う、嘉保三年三月十八日、今日京中上下万人、一日の中に、一切経を書写す、是れ一聖人有りて、夢想の告を得、人々を進め催して、各家に於て書写せしめ、則ち供養し了りて、聖人の許に送る者なり、大善根たるに依りて、聊か記し置く所なりと有り。これ数万人して物せむには、たやすかるべきわざながら、さばかりの物を、一日が程に、写しおえけむは、猶珍らしきわざなれば、我も記し置くなり。
現代語訳
中右記(藤原宗忠の日記)にいう。「嘉保三年三月十八日、今日、京中の上下万人が一日のうちに一切経を書写した。これは一人の聖人がいて、夢のお告げを得て、人々に勧めて促し、それぞれの家で書写させ、すぐに供養を終えて聖人のもとに送ったのである。大きな善根であるので、いささか記しておくのである」とある。これは数万人でやるなら容易なことではあるが、あれほどの分量のものを一日のうちに写し終えたというのは、やはり珍しいことなので、私も記しておくのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 又一代要記にも、建暦元年四月二十三日、一万五千人の僧侶を以て、一日に一切経を書写し供養す、導師は前大僧正雅縁。
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