韓非子 / 觀行第二十四
故雖有堯之智而無衆人之助,大功不立;有烏獲之勁而不得人助,不能自舉;
書き下し
故に堯の智有ると雖も、而も衆人の助け無ければ、大功立たず。烏獲の勁有るも、而も人の助けを得ざれば、自ら舉ぐる能わず。
現代語訳
したがって、堯ほどの智恵があっても、多くの人々の助けがなければ、大きな功績は立てられない。烏獲ほどの怪力があっても、他人の助けがなければ、自分自身を持ち上げることはできない。
解説
どれほど賢い人でも、周りの助けなしには大きな仕事は成し遂げられません。原文は、聖人と言われた堯ほどの智恵があっても大勢の助けがなければ大きな功績は残せず、怪力で知られた烏獲ほどの力持ちでも人の手を借りなければ自分の体を持ち上げることすらできない、と言います。一人で何でも背負い込もうとする人ほど、実は限界にぶつかりやすいものです。家庭を切り盛りするにも、地域の行事を回すにも、家族や近所の人たちの手を借りてこそ大きなことができます。自分の力を誇示するのではなく、周りの人に頼り、力を貸してもらえる間柄を日頃から作っておくことこそ、大きな仕事を成し遂げる本当の力なのです。
この章句が説くこと
チームワーク協働属人化の排除ワンマンの限界相乗効果
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