玉勝間 / 七の巻 人人御中
書狀のおくに、同書に、進上二條殿人人御中など有り、又あて名は無くて、ただ人人御中とのみ有るも有
新字:書状のおくに、同書に、進上二条殿人人御中など有り、又あて名は無くて、ただ人人御中とのみ有るも有
書き下し
書状のおくに、同書に、進上二条殿人々御中など有り、またあて名は無くて、ただ人々御中とのみ有るも有
現代語訳
書状の奥書(宛名書き)に、同じ書(園太暦)では「進上 二条殿人々御中」などとあり、また宛名はなくて、ただ「人々御中」とだけあるものもある。
解説
手紙の宛名の書き方「人々御中」の古い例を園太暦から拾った短い段である。貴人に直接宛てるのをはばかり、その周りに仕える人々に宛てる形をとるのが「人々御中」で、「進上 二条殿人々御中」は二条家のお側の方々へ差し上げます、という意になる。宛名そのものを省いて「人々御中」とだけ書くこともあった。今でも会社や団体に宛てる「御中」はこの流れを引く言葉である。宣長は書状の作法、ことに宛名や脇付の敬語が時代とともにどう変わってきたかに関心を持ち、古記録から実例を集めていた。この段は文が言い切られず途切れているが、それも書き留めの覚え書きらしさを残している。身近な手紙の決まり文句にも、身分と敬意をめぐる長い歴史が折り込まれているのである。
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 人をあがめて様と云ふ事人をたっとみて、様と云うこと、四百四五十年ばかりもあなたのふみどもより始まりて、おりおり見えたり。上様、前朝様、禁裏様、御所様、公方様、宮御方様、徳大寺様、女中様など見え、書状のあて名にも、御つぼね様なども有り。また鹿苑院殿様、室町殿様など、殿様と重ねて云える事も見えたり。
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『玉勝間』十二の巻 人をさして貴殿と云ふ事又某ノ国の住人と云ふ事同じ記、同じ年の所に、人をさして、貴殿と云えること見えたり。また筑前の国志麻の郡の住人、文室の忠光、同じ国怡土の郡の住人、多治の久明などあり。住人と云う事も、やや古しかし。
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『玉勝間』八の巻 貴下今世に、しょうそこ文の当名のかたわらに、貴下と書くこと有り。台記に、足下など云うべき所に、貴下と書かれたること所々に見えたり。
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『玉勝間』七の巻 たたう紙園太暦に、徳大寺の前の内大臣より、公賢の大臣に、くさぐさの事ども問いたまえる、条々の中に、一帖紙は沙汰に及ばざるの由、仰せを蒙り候いし、只朝夕用い候、白く候やらん、もし薄などちと散ばみたる物にや候べき、現在鼻垂れ候わば、取り出だすべきの間、之有るべき様、大切に候か、公卿已後も、薄様の帖紙持ちたる事も、よそには見及び候いし、これはもし夏の事に候やらん、紅の帖紙、古物をば持ちて候と有り。帖紙は、今の世ふところにもつ、はな紙の事なり。
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『玉勝間』六の巻 朔日の礼中原の康富の記に、嘉吉二年七月一日、伏見殿に参る、また三条殿に参る、皆朔日の礼なり、とあり。
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『玉勝間』二の巻 あざ名と云ふ物の事あざ名と云うもの、かの文琳、菅三、平仲などのたぐいのみにもあらず、古より正しき名の外に呼ぶ名を、字と云える事多し。中むかしには、今のいわゆる俗名をも、字と云える事あり。その外にも田地の字、何の字くれの字など云うも、皆正しく定まれる名としも無くて、呼びならえるを云えり。いずれも漢国人の字とはことことなり。そが中に、今の俗名を云えるは、漢人の字と、こころばえ似たり。
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