玉勝間 / 八の巻 もろこしの国に丙吉と云ひし人の事
わらはべの蒙求と云ふからぶみ讀むを聞けば、かの國の漢と云ひし代に、丙吉と云ふ大臣有けり。春の頃、物へ行く道に、牛の人に牽かれてくるが、舌を出して、いみしく苦しげに、あへぐを見て、今夏にも有らざるに、此牛いたく暑ければこそ、かくは喘ぐなれ。すべて寒さぬるさの、時にかなはぬは、天の下のそこなひ有るべき事ぞ。國の大臣は、もはら陰陽をととのふる事を、むねとすべきつかさなるに、今かかるは、わが憂ふべき事なり、と云ひければ、皆人げにとかしこまりて、世にいみしき事に思ひあへりとぞ。今思ふに、こはいとをこがましき事なり、暑き頃ならずとて、ことによりては、などか然あへぐ事も無からん。又さばかり陰陽のととのひを、心にかけたらむには、常にみづから試むべきわざなるに、たまたま道かひに、此牛のさまを見て、ゆくりなく悟りたるは、いかにぞや。もし此牛のあへぐを見ずは、知らでやむべきにや。さればこは、誠にさ思ひて云へるにはあらで、人にいみしき事に思はせむとての、作り事にこそ有けれ。もし誠にしか心得たらんには、云ふかひなきしれものなるを、世にいみしき事にしるし傳へたるも、いとをこなり。
新字:わらはべの蒙求と云ふからぶみ読むを聞けば、かの国の漢と云ひし代に、丙吉と云ふ大臣有けり。春の頃、物へ行く道に、牛の人に牽かれてくるが、舌を出して、いみしく苦しげに、あへぐを見て、今夏にも有らざるに、此牛いたく暑ければこそ、かくは喘ぐなれ。すべて寒さぬるさの、時にかなはぬは、天の下のそこなひ有るべき事ぞ。国の大臣は、もはら陰陽をととのふる事を、むねとすべきつかさなるに、今かかるは、わが憂ふべき事なり、と云ひければ、皆人げにとかしこまりて、世にいみしき事に思ひあへりとぞ。今思ふに、こはいとをこがましき事なり、暑き頃ならずとて、ことによりては、などか然あへぐ事も無からん。又さばかり陰陽のととのひを、心にかけたらむには、常にみづから試むべきわざなるに、たまたま道かひに、此牛のさまを見て、ゆくりなく悟りたるは、いかにぞや。もし此牛のあへぐを見ずは、知らでやむべきにや。さればこは、誠にさ思ひて云へるにはあらで、人にいみしき事に思はせむとての、作り事にこそ有けれ。もし誠にしか心得たらんには、云ふかひなきしれものなるを、世にいみしき事にしるし伝へたるも、いとをこなり。
書き下し
わらわべの蒙求と云うからぶみ読むを聞けば、かの国の漢と云いし代に、丙吉と云う大臣有けり。春の頃、物へ行く道に、牛の人に牽かれてくるが、舌を出して、いみじく苦しげに、あえぐを見て、今夏にも有らざるに、此牛いたく暑ければこそ、かくは喘ぐなれ。すべて寒さぬるさの、時にかなわぬは、天の下のそこない有るべき事ぞ。国の大臣は、もはら陰陽をととのうる事を、むねとすべきつかさなるに、今かかるは、わが憂うべき事なり、と云いければ、皆人げにとかしこまりて、世にいみじき事に思いあえりとぞ。今思うに、こはいとおこがましき事なり、暑き頃ならずとて、ことによりては、などか然あえぐ事も無からん。又さばかり陰陽のととのいを、心にかけたらむには、常にみずから試むべきわざなるに、たまたま道かいに、此牛のさまを見て、ゆくりなく悟りたるは、いかにぞや。もし此牛のあえぐを見ずは、知らでやむべきにや。さればこは、誠にさ思いて云えるにはあらで、人にいみじき事に思わせむとての、作り事にこそ有けれ。もし誠にしか心得たらんには、云うかいなきしれものなるを、世にいみじき事にしるし伝えたるも、いとおこなり。
現代語訳
子どもが蒙求という漢籍を読むのを聞くと、あの国の漢という時代に丙吉という大臣がいた。春の頃、ある所へ行く道で、牛が人に牽かれて来るのが、舌を出してひどく苦しそうにあえいでいるのを見て、「今は夏でもないのに、この牛がひどく暑がってこのようにあえいでいるのだ。およそ寒さ暖かさが時節に合わないのは、天下に災いが起こるはずのことだ。国の大臣は、もっぱら陰陽を調えることを第一とすべき職であるのに、今こうなっているのは、私が憂えるべきことだ」と言ったので、人々はみななるほどと恐れ入って、世にすばらしいことと思い合ったという。今思うに、これはまことに愚かしいことである。暑い時期でないからといって、事情によってはどうしてそのようにあえぐこともないだろうか。また、それほど陰陽の調和を心にかけているのなら、常に自分で確かめるべきことであるのに、たまたま道の行き交いでこの牛の様子を見て、ふいに悟ったというのはどうしたことか。もしこの牛のあえぐのを見なかったら、知らずに済ませるところだったのか。だからこれは、本当にそう思って言ったのではなく、人にすばらしいことと思わせようとしての作り事なのであった。もし本当にそのように心得ていたのなら、言うに足りない愚か者であるのに、世にすばらしいこととして記し伝えているのも、まことに愚かである。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』八の巻 もろこしの国に丙吉と云ひし人の事又もとより陰陽をととのうなど云う事、有るべくも有らず。すべて世の中の事は、時々の天地のあるようも何も、みな神の御しわざにて、時の気のかないかなわぬなど、さらに人の知るべきわざには有らぬを、斯くことごとしげに、云いなすは、すべてかの国人のならいにて、いといとこちたく、うるさきわざなりかし。
-
『玉勝間』七の巻 もろこしに無きこともろこしのまなびする人、彼の国に無き事の、御国に有るをば、文盲なる事と、おとしむるを、もろこしにも有る事とだに云えば、さてゆるすは、いかにぞや。もろこしには、すべて文盲なる事は、無き物とや心得たるらむ。彼の国の学びするともがらは、よろずにかしこげに、物は云えども、かかる愚かなる事も有りけり。
-
『玉勝間』十二の巻 雪蛍を集めて書読みけるもろこしのふることもろこしの国に、むかし孫康と云いける人は、いたく学問を好みけるに、家まずしくして、油を得買わざりければ、夜は、雪の光にて、ふみを読み、また同じ国に車胤と云いし人も、いたく書よむ事を好みけるを、これも同じようにいと貧しくて、油をえ得ざりければ、夏の頃は、蛍を多く集めてなむ読みける。この二つの故事は、いといと名高くして、知らぬ人無く、歌にさえなむ多く詠むことなりける。今思うに、これらもかの国人の、例の名をむさぼりたる、作りことにぞ有りける。その故は、もし油をえ得ずは、よるよるは、ちか隣りなどの家にものして、そのともし火の光を乞いかりても、書は読むべし。たとい、その明かり心に任せず、はつはつなりとも、雪蛍には、こよ無くまさりたるべし。また年のうちに、雪蛍の有るは、しばしの程なるに、それが無き程は、夜は書読まで有りけるにや、いとおかし。
-
『玉勝間』二の巻 から国聖人の世の祥瑞と云ふものもろこしの国に、古聖人と云いし者の世には、その徳にめでて、麒麟鳳凰など云いて、ことごとしき鳥けだ物いで、またくさぐさめでたきしるしの現れし事を云えれども、さるたぐいのめずらしき物も、ただ何となくおりおりは出ずる事なるべきを、たまたま出でぬれば、徳にめでて、天のあたえたるごと云いなして、聖人のしるしとて、世の人に、いみしき事に思わせたるものなり。万ずにかかるぞ、かの国人のしわざなりける。
-
『玉勝間』十二の巻 物しり人もののことわりを論ずるやう世のものしり人、人の身のうえ、世の中のことわりなどを、さまざま心高く、いとかしこげには論えども、とかく云うもかく云うも、皆からぶみの趣きにて、その垣内を出ずる事あたわざるは、いかにぞや。
-
『玉勝間』五の巻 あやしき事の説さるにこの人と云いし物、ある時いたくなやみて、ようように重りて行くほどに、ついにかのよろずのしわざ皆やみて、いささか動く事もせず成りて止みにき、と記したらむ書を、儒者の見たらむには、例の信ぜずして、神代ならんからに、いずこのさるあやしき事か有るべき。すべてすべて理も無く、つたなき寓言にこそは有れ、とぞ云わむかし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る