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玉勝間 / 八の巻 出定後語と云ふふみ

近き世大坂に、富永仲基と云へりし人有。延享の頃、出定後語と云ふふみを著はして、佛の道を論へる、皆かの道の經論など云ふ書どもを、ひろく引出て、くはしく證したる、見るに目覺むるここちする事どもおほし。そもそも此人、儒のまなびをも、云ふかひなからずしたりと見えて、その漢文も、つたなからず、佛ぶみを見明らめたる程はしも、諸宗の物知りと云はるる法師も、かばかりは得あらぬぞ多かッめるを、法師にもあらで、いといみしきわざにぞ有ける。そののち無相と云ひしほうしの、非出定と云ふ書を著はして、此出定を破りたれど、そは唯だおのが道を、た易く云へる事をにくみて、ひたぶるに大聲を出して、ののしりたるのみにて、一くだりだに、よく破り得たる事は見えず、むげに云ふかひなき物なり。さるは音韻のまなびに、名高き僧なるを、ほとけぶみの筋は、うとかりしと見えたり。されどかの道のまなび善くしたる法師と云ふとも、此出定をば、えしも破らじとこそ覺ゆれ。

新字:近き世大坂に、富永仲基と云へりし人有。延享の頃、出定後語と云ふふみを著はして、仏の道を論へる、皆かの道の経論など云ふ書どもを、ひろく引出て、くはしく証したる、見るに目覚むるここちする事どもおほし。そもそも此人、儒のまなびをも、云ふかひなからずしたりと見えて、その漢文も、つたなからず、仏ぶみを見明らめたる程はしも、諸宗の物知りと云はるる法師も、かばかりは得あらぬぞ多かッめるを、法師にもあらで、いといみしきわざにぞ有ける。そののち無相と云ひしほうしの、非出定と云ふ書を著はして、此出定を破りたれど、そは唯だおのが道を、た易く云へる事をにくみて、ひたぶるに大声を出して、ののしりたるのみにて、一くだりだに、よく破り得たる事は見えず、むげに云ふかひなき物なり。さるは音韻のまなびに、名高き僧なるを、ほとけぶみの筋は、うとかりしと見えたり。されどかの道のまなび善くしたる法師と云ふとも、此出定をば、えしも破らじとこそ覚ゆれ。

書き下し

近き世大坂に、富永仲基と云えりし人有り。延享の頃、出定後語と云うふみを著わして、仏の道を論える、皆かの道の経論など云う書どもを、ひろく引出て、くわしく証したる、見るに目覚むるここちする事どもおおし。そもそも此人、儒のまなびをも、云うかいなからずしたりと見えて、その漢文も、つたなからず、仏ぶみを見明らめたる程はしも、諸宗の物知りと云わるる法師も、かばかりは得あらぬぞ多かめるを、法師にもあらで、いといみじきわざにぞ有ける。そののち無相と云いしほうしの、非出定と云う書を著わして、此出定を破りたれど、そは唯だおのが道を、た易く云える事をにくみて、ひたぶるに大声を出して、ののしりたるのみにて、一くだりだに、よく破り得たる事は見えず、むげに云うかいなき物なり。さるは音韻のまなびに、名高き僧なるを、ほとけぶみの筋は、うとかりしと見えたり。されどかの道のまなび善くしたる法師と云うとも、此出定をば、えしも破らじとこそ覚ゆれ。

現代語訳

近世の大坂に、富永仲基という人がいた。延享の頃、出定後語という書物を著して仏の道を論じたが、すべてその道の経や論などという書物を広く引き出して詳しく論証しており、読むと目が覚めるような思いのすることが多い。そもそもこの人は儒学もそれなりに修めたと見えて、その漢文も拙くなく、仏典を読み解いた程度といったら、諸宗の物知りと言われる法師でもこれほどはできない者が多いようなのに、法師でもないのに、実にたいしたことであった。その後、無相という法師が非出定という書を著して、この出定後語を論破しようとしたが、それはただ自分の道を軽々しく言われたことを憎んで、ひたすら大声を出して罵っただけで、一行たりともうまく論破できたところは見えず、まったく言うに足りないものである。この僧は音韻学で名高い僧であるが、仏典の筋には疎かったと見える。しかし仏道の学問をよく修めた法師であっても、この出定後語をとても論破することはできまいと思われる。

解説

大坂の町人学者、富永仲基の出定後語を絶賛した段である。仲基は懐徳堂に学んだ人で、出定後語において、大乗の経典は釈迦がじかに説いたものではなく、後の人々が先の説に次々と新しい説を加えて成ったものだとする「加上」の説を唱えた。経典を歴史的に読み解いたこの書は、仏教界に大きな衝撃を与えた。宣長は、僧でもない一人の学者が仏典をこれほど深く読み、論証を尽くしたことに感嘆し、反論書の非出定については、感情的に罵るばかりで一行も論破できていないと切り捨てる。宣長自身、仏教を漢意と同じく人のさかしらの産物と見ており、仲基の批判に共感するところが大きかった。同時に、証拠に基づいて論じた書を正当に評価する目を持っていたことがわかる。反論は大声ではなく論証でせよという教えは、今の議論にもそのまま当てはまる。

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