玉勝間 / 八の巻 いはんやと云ふ詞
況は、いはんやは云ふにも及ばずと云ふ意の言なり。平ノ康賴入道が寶物集に、申さんや十六丈をや、いはんや金銅をやと、大佛のすぐれたる由を云へり。此申さむやとも云へるにて心得べし。
新字:況は、いはんやは云ふにも及ばずと云ふ意の言なり。平ノ康頼入道が宝物集に、申さんや十六丈をや、いはんや金銅をやと、大仏のすぐれたる由を云へり。此申さむやとも云へるにて心得べし。
書き下し
況は、いわんやは云うにも及ばずと云う意の言なり。平の康頼入道が宝物集に、申さんや十六丈をや、いわんや金銅をやと、大仏のすぐれたる由を云えり。此申さむやとも云えるにて心得べし。
現代語訳
「況(いわんや)」は、「いわんや」は言うまでもないという意味の言葉である。平康頼入道の宝物集に、「申さんや十六丈をや、いわんや金銅をや(その十六丈の高さは申すまでもない、まして金銅であることは言うまでもない)」と、奈良の大仏のすぐれていることを言っている。この「申さむや」とも言っていることによって、心得るべきである。
解説
「いわんや」という語の成り立ちを、一つの用例から確かめた短い段である。「いわんや」はもと「言はむや」で、「どうして言おうか、言うまでもない」という反語から「まして」の意になった。宣長は、平康頼の宝物集に「申さんや」と、「言う」をへりくだった「申す」に置き換えた形があるのを見つけ、「いわんや」が確かに「言う」の反語であった証とする。平康頼は鹿ケ谷の陰謀に連座して鬼界島に流され、許されて都に戻ったのちに仏教説話集の宝物集を著したと伝えられる人物である。前の段で、言葉は用例から確かめよと説いた宣長が、ここではまさにその方法で一語の由来を押さえている。漢文訓読で決まり文句のように覚える「況(いわんや)」も、もとは生きた話し言葉だったことに気づかせてくれる。
関連する章句
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