玉勝間 / 八の巻 言の然云ふ本の意を知らまほしくする事
物まなびするともがら、古言の、しか云ふもとの意を、知らまほしくして、人にもまづ問ふ事、常なり。然云ふ本の心とは、たとへば天と云ふは、いかなる意ぞ、地と云ふは、いかなる意ぞ、と云ふ類ひなり。これも學びの一ッにて、さも有るべき事には有れども、さしあたりて、むねとすべきわざにも有らず。大かた古への言は、然云ふ本の意を知らむよりは、古人の用ひたる意を、よく明らめ知るべきなり。用ひたる意をだに、よく明らめなば、然云ふ本の意は、知らでも有るべきなり。そもそも萬ッの事、まづその本をよく明らめて、末をば後にすべきは、論無けれど、然のみにも有らぬわざにて、事のさまによりては、末よりまづ物して、後に本へはさかのぼるべきも有るぞかし。大かた言の本の意は、知り難きわざにてわれ考へ得たりと思ふも當れりやあらずや、定め難く、多くはあたり難きわざなり。されば言のはの學問は、その本の意を知る事をば、のどめ置きて、かへすかへすも、古へ人のつかひたる意を、心をつけて、よく明らむべきわざなり。
新字:物まなびするともがら、古言の、しか云ふもとの意を、知らまほしくして、人にもまづ問ふ事、常なり。然云ふ本の心とは、たとへば天と云ふは、いかなる意ぞ、地と云ふは、いかなる意ぞ、と云ふ類ひなり。これも学びの一ッにて、さも有るべき事には有れども、さしあたりて、むねとすべきわざにも有らず。大かた古への言は、然云ふ本の意を知らむよりは、古人の用ひたる意を、よく明らめ知るべきなり。用ひたる意をだに、よく明らめなば、然云ふ本の意は、知らでも有るべきなり。そもそも万ッの事、まづその本をよく明らめて、末をば後にすべきは、論無けれど、然のみにも有らぬわざにて、事のさまによりては、末よりまづ物して、後に本へはさかのぼるべきも有るぞかし。大かた言の本の意は、知り難きわざにてわれ考へ得たりと思ふも当れりやあらずや、定め難く、多くはあたり難きわざなり。されば言のはの学問は、その本の意を知る事をば、のどめ置きて、かへすかへすも、古へ人のつかひたる意を、心をつけて、よく明らむべきわざなり。
書き下し
物まなびするともがら、古言の、しか云うもとの意を、知らまほしくして、人にもまず問う事、常なり。然云う本の心とは、たとえば天と云うは、いかなる意ぞ、地と云うは、いかなる意ぞ、と云う類いなり。これも学びの一つにて、さも有るべき事には有れども、さしあたりて、むねとすべきわざにも有らず。大かた古えの言は、然云う本の意を知らむよりは、古人の用いたる意を、よく明らめ知るべきなり。用いたる意をだに、よく明らめなば、然云う本の意は、知らでも有るべきなり。そもそも万の事、まずその本をよく明らめて、末をば後にすべきは、論無けれど、然のみにも有らぬわざにて、事のさまによりては、末よりまず物して、後に本へはさかのぼるべきも有るぞかし。大かた言の本の意は、知り難きわざにてわれ考え得たりと思うも当れりやあらずや、定め難く、多くはあたり難きわざなり。されば言の葉の学問は、その本の意を知る事をば、のどめ置きて、かえすがえすも、古え人のつかいたる意を、心をつけて、よく明らむべきわざなり。
現代語訳
学問をする人々が、古語について、そう言うもとの意味(語源)を知りたがって、まず人にも尋ねるのは常のことである。そう言うもとの心とは、たとえば「あめ(天)」というのはどういう意味か、「つち(地)」というのはどういう意味か、といった類である。これも学問の一つであって、そうあってよいことではあるが、さしあたって第一にすべきことではない。おおよそ古語は、そう言うもとの意味を知ろうとするよりは、古人がどういう意味で用いたかをよく明らかにして知るべきである。用いた意味さえよく明らかにすれば、そう言うもとの意味は知らなくてもよいのである。そもそも万事、まずその本をよく明らかにして、末は後にすべきであるのは論を待たないが、そうとばかりも限らないことで、事の次第によっては、末からまず取りかかって、後に本へとさかのぼるべきものもあるのだ。おおよそ言葉のもとの意味は知りがたいもので、自分では考え得たと思っても当たっているかどうか定めがたく、多くは当たりがたいものである。だから言葉の学問は、そのもとの意味を知ることはゆるやかに脇へ置いて、くれぐれも古人が使った意味に心をつけて、よく明らかにすべきである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 言の然云ふ本の意を知らまほしくする事たとい其もとの意は、よく明らめたらむにても、いかなる所に使いたりと云う事を知らでは、何のかいも無く、おのが歌文に用うるにも、ひがことの有るなり。今の世古学をするともがらなど殊に、すこし遠き言と云えば、まず然云う本の意を知らむとのみして、用いたる意をば、考えむともせざる故に、おのが使うに、いみじきひがことのみ多きぞかし。すべて言は、然云う本の意と、用いたる意とは、多くは等しからぬ物なり、たとえばなかなかにと云う言はもと、こなたへもかなたへも附かず、中間なる意の言なれども、用いたる意はただ、なまじいにと云う意、又移りては、かえりてと云う意にも用いたり。然るを言の本によりて、打まかせて、中間なる意に用いては、たがうなり。又心ぐるしと云う言は、今の俗言に、気毒なると云う意に用いたるを、言のままに、心の苦き事に用いては、たがえり。されば是等にて、万の言をも、なずらえ心得て、まず古えに用いたるようを、さきとして、明らめ知るべし、言の本にのみよりては、中々に古えにたがう事多かるべしかし。
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うひ山ぶみ・注[ツ]語釈は緊要にあらずこは学者の、たれもまづしらまほしがることなれども、これにさのみ深く心をもちふべきにはあらず、こは大かたよき考へは出来がたきものにて、まづはいかなることとも、しりがたきわざなるが、しひてしらでも、事かくことなく、しりてもさのみ益なし、されば諸の言は、その然云フ本の意を考ヘんよりは、古人の用ひたる所をよく考へて、云々の言は、云々の意に用ひたりといふことを、よく明らめ知るを、要とすべし、言の用ひたる意をしらでは、其所の文意聞えがたく、又みづから物を書クにも、言の用ひやうたがふこと也、然るを今の世古学の輩、ひたすら然云フ本の意をしらんことをのみ心がけて、用る意をば、なほざりにする故に、書をも解し誤り、みづからの歌文も、言の意用ひざまたがひて、あらぬひがこと多きぞかし、からぶみをもまじへよむべし、漢籍を見るも、学問のために益おほし、やまと魂だによく堅固まりて、動くことなければ、昼夜からぶみをのみよむといへども、かれに惑はさるゝうれひはなきなり、然れども世の人、
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『玉勝間』四の巻 学者のまづかたきふしをとふ事物学ぶともがら、物知り人にあいて、物問うに、ともすればまづ、古書の中にも、世にかたき事として、誰も解きえぬふしをえり出でて、問うならいなり。たとえば書紀の斉明の御巻なる童謡、万葉にては、一の巻なる莫囂円隣云々と書ける歌などようのたぐいなり。こうようのかたき事を、まづ明らめまほしく思うも、学者のなべての心なれども、然らばやすき事どもは、皆よくあきらめ知れるかと、こころむれば、いとたやすき事どもをだに、いまだ得よくもわきまえず。さる者の、さしこえて、まづかたき節を明らめんとするは、いとあじき無きわざなり。よく聞こえたりと思いて、心もとどめぬ事に、思いの外なるひが心得の多かる物なれば、まづたやすき事を、いく度もかえさい考え、問いも明らめて、よく得たらん後にこそ、かたきふしをば、思いかくべきわざなれ。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事かくて神の社にまれ、御陵にまれ、歌枕にまれ、何にまれ、遥かなる古えのを、中頃とめ失いたるを、今の世にして、尋ね定めむことは、大かたたやすからぬわざになむ有りける。そのゆえを云わむには、まずこの古き所を尋ぬるわざは、ただに古の書どもを考えたるのみにては、知りがたし。いかに委しく考えたるも、書もて考え定めたる事は、その所にいたりて見聞けば、いたく違う事の多き物なり。よそながらは、定かならぬ所も、その国にては、さすがに書も伝え、語りも伝えて、まがい無き事も有り。さればみずからその地にいたりて、見もし、そこの事よく知れる人に、問い聞きなどもせでは、事たらわず。またただ一たび物して、見聞きたるのみにても、なおたらわず。行きて見聞きて立ちかえりて、またふみどもと考え合わせて、またまたも行きて、よく見聞きたるうえならでは、定めがたかるべし。さてまたそのところの人に逢いて、問い聞くにも、心得べき事くさぐさ有り。古えの事を、あまりたしかに知りがおに語るは、多くは、書のかたはしを、なまなまに考えなどしたるものの、己がさかしらもて、定め云うが多ければ、そはいと頼みがたく、中中の物そこないなり。
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『玉勝間』一の巻 学問して道を知る事学問して道を知らむとならば、まづ漢意をきよくのぞき去るべし。から意のきよくのぞこらぬ程は、いかに古書を読みても考えても、古の意は知りがたく、古の心を知らでは、道は知りがたきわざになむ有りける。そもそも道は、もと学問をして知る事にはあらず、生まれながらの真心なるぞ、道には有りける。真心とは、善くも悪しくも、生まれつきたるままの心を云う。然るに後の世の人は、おしなべてかの漢意にのみ移りて、真心をば失いはてたれば、今は学問せざれば、道をえ知らざるにこそ有れ。
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『玉勝間』十の巻 物まなびの心ばへ皇国の学びとて、ことにする事は無くて、昔は、ただから学びをのみしける程に、世々をふるままに、古えの事は、ようようにうとくのみ成りゆき、から国の事は、ようように親しくなりもて来つつ、ついにその心は、もはらからざまにうつり果てて、上つ代の事は、物の意はさらにも云わず、言葉だに、聞きしらぬ異国のさえずりを聞くがごと、物うとくぞなりにける。かくて後にいたりて、皇国の学を、もはらとする事も始まりつれども、しか漢意の、久しくしみ附きたる人心にし有れば、ただ名のみこそ、みくにの学びには有りけれ、云いと云い、思いと思う事は、なおみなからにぞ有りけるを、みずからも、さは覚えざるなめり。されば近き世、学びの道ひらけて、万づさかしくなりぬるにつけても、なかなかにそのからごころのみ、深く盛りには成りて、古の意は、いよいよ遥かになむなりにけるを、この近き頃になりてぞ、そこに心つきぬる人の出で来そめて、世は皆からなる事をさとりて、人も我も、古えの心をたずぬる道の、明り初めぬる、しかすがに神直毘大直毘の神のましましける世は、なお行くさきいと頼もしくなむ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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