玉勝間 / 八の巻 古き物またそのかたを偽り作る事
近き頃は、古へを忍ぶともがら、世に多くして、何物にまれ、こだいの物とし云へば、もてはやしめづるから、國國より或るは古き社、古き寺などに、傳はりきたる物、或るは土の中より掘り出でなど、八百年千とせに、久しく埋つもれたりし物どもも、つぎつぎにあらはれ出來る類ヒ多し。さてしか古く珍しき物の出來れば、その物は更にも云はず、圖をさへにうつして、つぎつぎ遠きさかひまでも、寫し傳へて、もてあそぶを、又世には、あやしく僞ッする、をこの者の有りて、是れはその國のその社に、をさまれる物ぞ、その國のなにがしの山より、掘り出たる、なにのかたぞなど、古き物をも圖をも、つきづきしくおのれ造りいでて、人を惑はすたぐひも、又多きは、いといとあぢきなく、心憂きわざなり。さいつ頃、古へ甲斐の國の酒折宮にして、倭建ノ命の御歌の末をつぎたりし、火ともしの翁のかた、火揚ノ命ノ像としるしたる物を、かの酒折ノ社の屋根の板のはざまより、近き年出たるなりとて、寫したるを、人の見せたる。
新字:近き頃は、古へを忍ぶともがら、世に多くして、何物にまれ、こだいの物とし云へば、もてはやしめづるから、国国より或るは古き社、古き寺などに、伝はりきたる物、或るは土の中より掘り出でなど、八百年千とせに、久しく埋つもれたりし物どもも、つぎつぎにあらはれ出来る類ヒ多し。さてしか古く珍しき物の出来れば、その物は更にも云はず、図をさへにうつして、つぎつぎ遠きさかひまでも、写し伝へて、もてあそぶを、又世には、あやしく偽ッする、をこの者の有りて、是れはその国のその社に、をさまれる物ぞ、その国のなにがしの山より、掘り出たる、なにのかたぞなど、古き物をも図をも、つきづきしくおのれ造りいでて、人を惑はすたぐひも、又多きは、いといとあぢきなく、心憂きわざなり。さいつ頃、古へ甲斐の国の酒折宮にして、倭建ノ命の御歌の末をつぎたりし、火ともしの翁のかた、火揚ノ命ノ像としるしたる物を、かの酒折ノ社の屋根の板のはざまより、近き年出たるなりとて、写したるを、人の見せたる。
書き下し
近き頃は、古えを忍ぶともがら、世に多くして、何物にまれ、こだいの物とし云えば、もてはやしめずるから、国々より或るは古き社、古き寺などに、伝わりきたる物、或るは土の中より掘り出でなど、八百年千とせに、久しくうずもれたりし物どもも、つぎつぎにあらわれ出来る類い多し。さてしか古く珍しき物の出来れば、その物は更にも云わず、図をさえにうつして、つぎつぎ遠きさかいまでも、写し伝えて、もてあそぶを、又世には、あやしく偽りする、おこの者の有りて、是れはその国のその社に、おさまれる物ぞ、その国のなにがしの山より、掘り出たる、なにのかたぞなど、古き物をも図をも、つきづきしくおのれ造りいでて、人を惑わすたぐいも、又多きは、いといとあじきなく、心憂きわざなり。さいつ頃、古え甲斐の国の酒折宮にして、倭建の命の御歌の末をつぎたりし、火ともしの翁のかた、火揚の命の像としるしたる物を、かの酒折の社の屋根の板のはざまより、近き年出たるなりとて、写したるを、人の見せたる。
現代語訳
近ごろは、古えを慕う人々が世に多く、どんな物でも古代の物だと言えばもてはやして愛でるので、国々から、あるいは古い神社や古い寺などに伝わってきた物、あるいは土の中から掘り出したものなど、八百年、千年と長く埋もれていた物までも、次々に現れ出てくる類が多い。さて、そのように古く珍しい物が出てくると、その物はもちろんのこと、図にまで写し取って、次々と遠い地方まで写し伝えて愛玩するのだが、また世には、妙な偽りをする愚か者がいて、これはどこそこの国のどこそこの神社に納められている物だ、どこそこの国の何とかいう山から掘り出した何々の姿だなどと、古い物をも図をも、いかにもそれらしく自分で作り出して人を惑わす類もまた多いのは、まことに情けなく、嘆かわしいことである。先ごろ、昔、甲斐国の酒折宮で倭建命(やまとたけるのみこと)の御歌の下の句を継いだ火ともしの翁の姿を「火揚命の像」と記した物を、あの酒折の社の屋根板の隙間から近年出てきたものだと言って写したのを、人が見せてくれた。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 古き物またそのかたを偽り作る事げに上つ代の人のしわざと見えて、其さまいみじく古めきたりければ、めずらかに覚えて、おのれも写し置きたりしを、猶いかにぞや、疑わしくはた覚えしかば、かの国にその社近き里に、弟子のあるが許へ、しかじかの物得たるは、いかなるにかと、問いにやりたりしもしるく、はやくいつわりにて、即ちかの社の神主飯田氏にも問いしに、更にかたも無き事なりと、云いおこせたりき。又同じ頃、檜垣嫗が、みずからきざみたる、ちいさき木の像の、肥後の国の、忘れたり、何とか云う所より、近く掘出たる、写しとて、ここかしこに写し伝えて、ひろまりたる、これはた、出たる本を尋ぬるに、確かなるように聞ゆれど、猶心得ぬ事有りて、疑わしくなむ。すべてこうようのたぐい、今はゆくりかにはうけ難きわざなり。心すべし。
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『玉勝間』十の巻 古へより伝はれる事の絶るをかなしむ事世の中に、古えの事の、いたく衰えたる、またひたぶるに絶えぬるなども多かるを、かかるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絶えたるも、跡をたずねて、またはじめむに、始めつべきは、遅くも疾くも、直毘の神の頼みの、なおのこれるを、一たび絶えては、またつぐべきよし無く、また始むべき便り無き事どもこそ、殊に云うかいなく、口惜しきわざには有りけれ。古き氏々など、神代のゆえよし重きなどは、更にも云わず、さらぬも、早く末の絶え果てぬるが多き、今は如何に思いても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思うに、万の古き事は、わずかにも残りて、絶えざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絶ゆまじきさまに、如何にも如何にも、強くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事ふるき神の社の、今は絶えたる、また絶えざれども、定かならず成りぬるなど、いずくにも多かるは、いと悲しきわざなり。神祇官の帳にのれるなどは、欠けてもさは有るまじきわざなるを、中頃の世の乱れに、天の下のよろずの事も、古の掟も、皆みだれに乱れ、絶え失せに絶え失せにたる、万ずにつけて、いともいともかなしきは、乱れ世のしわざなりけり。さるを今の御世は、古えにも稀なるまで、よく治まりて、いともめでたく、天の下栄えに栄ゆるままに、よろずに古をたずねて、絶えたるを起こし、おとろえたるを直し給う御世にし有れば、神の社どもは、殊に古に立ちかえりて、栄ゆべき時なりけり。しか有るにつけては、絶えたるは、跡をだに定かに尋ねまほしく、また今も有りながら、さだかならず、疑わしきをば、よく考え尋ねて、確かにそれと、定め知らまほしきわざになむ有りける。次には神の社ならぬも、古えに名あるところどころ、歌枕なども、今は定かならぬが多かるは、かかるめでたき時世にあたりて、尋ね置かまほしきわざなり。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事また世に名高き所などをば、外なるをも、しいておのが国おのが里のにせまほしがるならいにて、ただいささかのより所めきたる事をも、かたくとらえて、強いてここぞと云いなして、しるしを作るたぐいなど、はた世に多きを、さる心して、まどうべからず。ふみなどは、むげに見たる事無き、ひたぶるの賤の男の、覚えいて語ることは、しり口あわず、しどけなく、ひがことのみ多かれど、その中には、かえりておかしき事もまじるわざなれば、さるたぐいをも、心とどめて聞くべきわざなり。されどまた、昔なまなまの物知り人などの、尋ね来たるが、ひが定めして、ここはしかしかの跡ぞなど、教えおきたるを聞きおりて、里人は、まことにさることと信じて、子うまごなどにも、語り伝えたるたぐいも有りしなれば、うべうべしくきこゆる事も、なおひたぶるには信じがたし。またみずからそのところのさまを行き見てさだむるにも、くさぐさ心うべき事ども有り。おおかた所のさまかみさびて、木立しげく物ふりなどしたるを見れば、こここそはと、目とまる物なれど、それはたうちつけには頼みがたし。大かたなにならぬ所にも、古めきたる森はやしなどは、多く有るものなり。
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『玉勝間』一の巻 古書どもの事古きふみどもの、世にたえてつたわらぬは、万よりもくち惜しく歎かわしきわざなり。釈日本紀、仙覚が万葉の抄などを見るに、そのほどまでは、国々の風土記も大かたそなわりて、伝われりと見えたり。釈に引きたる上宮記と云う物は、いささかばかりなれど、そのさま古事記よりも、今一きわふるく見えたるは、まことに上宮わたりの物にや有りけむ。また風土記は、いとたふとき物なるに、今はただ出雲一国ののみ、またくては残りて、ほかはみな絶えぬるは、かえすがえすもくち惜し。さるは応仁よりこなた、打ち続きたるみやこの乱れに、ふるき書どもも、みな焼けうせ、あるいは散りぼい失せぬるなるべし。そも今の世のごと、国々にも学問するともがら多く、書どもようじ持たる者おおからましかば、むげに絶えはつる事はあらじを、そのかみはいまだいなかには、学問するともがらもいといと稀れにして、京ならでは、おさおさ書どもも、無かりしが故なめり。されどから国のふるき書どもはしも、これかれといなかにも残れるが有るは、むねとからを好むよのならいなるが故なり。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事かくて神の社にまれ、御陵にまれ、歌枕にまれ、何にまれ、遥かなる古えのを、中頃とめ失いたるを、今の世にして、尋ね定めむことは、大かたたやすからぬわざになむ有りける。そのゆえを云わむには、まずこの古き所を尋ぬるわざは、ただに古の書どもを考えたるのみにては、知りがたし。いかに委しく考えたるも、書もて考え定めたる事は、その所にいたりて見聞けば、いたく違う事の多き物なり。よそながらは、定かならぬ所も、その国にては、さすがに書も伝え、語りも伝えて、まがい無き事も有り。さればみずからその地にいたりて、見もし、そこの事よく知れる人に、問い聞きなどもせでは、事たらわず。またただ一たび物して、見聞きたるのみにても、なおたらわず。行きて見聞きて立ちかえりて、またふみどもと考え合わせて、またまたも行きて、よく見聞きたるうえならでは、定めがたかるべし。さてまたそのところの人に逢いて、問い聞くにも、心得べき事くさぐさ有り。古えの事を、あまりたしかに知りがおに語るは、多くは、書のかたはしを、なまなまに考えなどしたるものの、己がさかしらもて、定め云うが多ければ、そはいと頼みがたく、中中の物そこないなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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