玉勝間 / 七の巻 催馬楽と云ふ名の事
長瀨ノ眞幸がいはく、催馬樂と云ふ名は、その初についでたる吾駒の歌によれるものなり。その歌は、伊天安加己未、波也久由伎己世、万川知也末、安波禮、万川知也未、波禮、末川知也末、萬川良无比止乎、由伎天波也、安波禮、由支天波也見无、是れなり。此歌はもと、萬葉集十二に、乞吾駒、早去欲、亦打山、將待妹乎、去而速見牟、と有る歌なり。はじめの二句、馬を催す詞なるをもて、催馬樂とは名けたり。樂は、唐の樂曲どもの名、某樂某樂と云ふによりて、添へたるにて、やがて其字音をとりて、良と呼ぶなり。さて此吾駒の歌を、初とする故に、其名を、もろもろの曲の惣名とせるなりと云へる、此說よろし。體源抄には、狛朝葛新作續敎訓抄云、催馬樂といふは、催馬樂と云ふ樂有り、それより事おこれり、此樂の唱歌に、駒をもよほすと云ふ事の有けるを、やがて歌になして、國國よりうたひ出したり。我駒と云ふ催馬樂是れなり、と云へれど、是れは、かの歌もと萬葉の歌なる事を知らずして、唐樂の唱歌より出たりと、誤り傳へたるひがことにて、國國よりうたひ出したりと云へるも、ひがことなり。
新字:長瀨ノ真幸がいはく、催馬楽と云ふ名は、その初についでたる吾駒の歌によれるものなり。その歌は、伊天安加己未、波也久由伎己世、万川知也末、安波礼、万川知也未、波礼、末川知也末、万川良无比止乎、由伎天波也、安波礼、由支天波也見无、是れなり。此歌はもと、万葉集十二に、乞吾駒、早去欲、亦打山、将待妹乎、去而速見牟、と有る歌なり。はじめの二句、馬を催す詞なるをもて、催馬楽とは名けたり。楽は、唐の楽曲どもの名、某楽某楽と云ふによりて、添へたるにて、やがて其字音をとりて、良と呼ぶなり。さて此吾駒の歌を、初とする故に、其名を、もろもろの曲の惣名とせるなりと云へる、此説よろし。体源抄には、狛朝葛新作続教訓抄云、催馬楽といふは、催馬楽と云ふ楽有り、それより事おこれり、此楽の唱歌に、駒をもよほすと云ふ事の有けるを、やがて歌になして、国国よりうたひ出したり。我駒と云ふ催馬楽是れなり、と云へれど、是れは、かの歌もと万葉の歌なる事を知らずして、唐楽の唱歌より出たりと、誤り伝へたるひがことにて、国国よりうたひ出したりと云へるも、ひがことなり。
書き下し
長瀬の真幸がいわく、催馬楽と云う名は、その初についでたる吾駒の歌によれるものなり。その歌は、いであがこま、はやくゆきこせ、まつちやま、あわれ、まつちやま、はれ、まつちやま、まつらんひとを、ゆきてはや、あわれ、ゆきてはやみん、これなり。この歌はもと、万葉集十二に、いで吾が駒、早く行きこそ、真土山、待つらむ妹を、行きて速く見む、と有る歌なり。はじめの二句、馬を催す詞なるをもて、催馬楽とは名づけたり。楽は、唐の楽曲どもの名、某楽某楽と云うによりて、添えたるにて、やがてその字音をとりて、らと呼ぶなり。さてこの吾駒の歌を、初とする故に、その名を、もろもろの曲の総名とせるなりと云える、この説よろし。体源抄には、狛朝葛新作続教訓抄に云う、催馬楽といふは、催馬楽と云う楽有り、それより事おこれり、この楽の唱歌に、駒をもよおすと云う事の有りけるを、やがて歌になして、国々よりうたい出したり。我駒と云う催馬楽これなり、と云えれど、これは、かの歌もと万葉の歌なる事を知らずして、唐楽の唱歌より出でたりと、誤り伝えたるひがことにて、国々よりうたい出したりと云えるも、ひがことなり。
現代語訳
長瀬真幸が言うには、「催馬楽(さいばら)という名は、その初めに並べた『吾駒(あがこま)』の歌によったものである。その歌は、『いで我が駒、早く行きこせ、真土山、あはれ、真土山、はれ、真土山、待つらむ人を、行きて早、あはれ、行きて早見む(さあ私の馬よ、早く行ってくれ、真土山、ああ、真土山、はれ、真土山、待っているだろう人を、行って早く、ああ、行って早く会いたい)』というのがこれである。この歌はもとは万葉集巻十二に、『いで我が駒早く行きこそ真土山待つらむ妹を行きて早見む』とある歌である。初めの二句が馬を促す言葉なので、『催馬楽』と名づけた。『楽』は、唐の楽曲の名を某楽、某楽というのにならって添えたもので、そのままその字音をとって『ら』と呼ぶのである。さてこの吾駒の歌を最初に置くので、その名をもろもろの曲の総称としたのである」と言っている。この説はよい。体源抄には、「狛朝葛の新作続教訓抄に言う。催馬楽というのは、催馬楽という楽曲があって、そこから事が起こった。この楽の唱歌に、駒を促すということがあったのを、そのまま歌にして、諸国から歌い出した。我駒という催馬楽がこれである」と言っているが、これはあの歌がもとは万葉集の歌であることを知らずに、唐楽の唱歌から出たと誤って伝えた誤りであって、諸国から歌い出したと言っているのも誤りである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 催馬楽と云ふ名の事また或る説に、催馬楽と云うは、古諸国より御貢物を納むる時、民の口すさびに、うたいたる歌にて、御貢物を負する馬を、かりもよおす意なりと云えるは、催馬と云う名につきて、造りたる拙き説なり。また県居の大人は、さいばりを、さいばらと云いなせるなりとて、やがて催馬楽を、さいばりと書かれたれども、これも誤られたり。さいばりと云うは、もと、さいばりに衣はそめむ云々と云う歌の、一曲の名なるを、十六曲の総名として、大前張・小前張と分かれたる、皆神楽歌の方につきたる物にて、催馬楽とは、もとより別物なるをや。さてついでに云わむ、さいばりを、前張と書くは、借字にて、初榛なり。さてまた或る説に、催馬楽と云うは、もと唐楽の名なり。和名抄、音楽の部曲調類、双調の条に、柳花苑、春庭楽、催馬楽、狭鰭河、和風楽と、並べあげたり。みな唐楽なりと云えるも、ひがことなり。これは、吾駒の歌など双調に奏る故に、双調の曲の中へ、まじえ挙げたるにこそ有れ、唐楽に催馬楽と云う有る事無し。然る故にその催馬楽と挙げたる分注に、我駒の曲これなりと有り。またその次なる狭鰭河も、催馬楽の中の沢田川の曲なり。即ち分注に、沢田川の曲これなりと有り。唐楽に狭鰭河と云う名有るべきかは。
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『玉勝間』七の巻 催馬楽と云ふ名の事また春庭楽・和風楽なども、皇朝にて作れる曲にして、唐楽にはあらざるをや。さてついでに云わむ、催馬楽と云う名は、三代実録三の巻に、始めて見えたり。
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『玉勝間』四の巻 東屋のまや月夜よし夜よしさいばらに、東屋のま屋のあまりと云える事を、東屋とま屋とを、別に心得来たり。和名抄にも、四阿はあづまや、両下はまやと、別にあげたり。然れどもよく思うに、かの催馬楽の趣は、必ず一つの屋とこそ聞こえたれ、東屋の軒にも立ち濡れ、またま屋の軒にも立ち濡れたるさまには有らず。されば是れは、うたう歌なれば、東屋の東屋のと、重ねて云う言を、あづを略きて、まやのとうたいて、五七言の調べにかなえたる物なり。今の世にも、うたう歌には、このたぐい常に多し。また月夜よし夜よしと云える歌も、月夜よし月夜よしと、重ねたる詞なるを、月を略きて夜よしと云えるにて、もはら同じ事なり、相証すべし。
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『玉勝間』八の巻 長歌の詞のつづき五七なると七五なるとの事そもそも万葉の頃までは、五七と続くかた、調べよろしかりけむを、古今集の頃よりして、七五と成りて、今もそれ宜しく覚ゆるは、古えと後の世との、おのずからの調べの変りなるべし、今の世に、万葉風を詠む人多くて、何事も、後の世をばわろしと云う者の、そのよめる長歌を見れば、そのことば、多くは七五七五と続けるは、此けじめを得知らずして、猶後の世のおのずからの調べを、得まぬかれざるなり。古今集の長歌、初めなる二首は、五七とも七五とも、交りて続けるを、後の三首は、おおかたは七五と定まれり。
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『玉勝間』十三の巻 万葉集に山ノ字を玉に誤れる例万葉集に、山の字を玉に誤れる例多し。草書にては、山と玉とよく似たる故なり。二の巻に、「三吉野の玉松が枝は」云云、十五の巻に、やままつかげにともあり。玉は山を誤れることしるし。然るを後の歌に、玉松と詠めるは、この歌によれるにて、皆ひがことなり。玉松と云うことは、有る事無し。又同じ二の巻に、「人はよし思いやむとも玉かずら影に見えつつ」云云、こは山かずらは、日かげかずらのことにて、影の枕詞に置けるなり。山かずら日かげとつづく意にて、十四の巻に、あしひきの山かずらかげと詠めるかげに同じ。十八の巻にも、かずらかげと有り、みなかげは日かげのかずらの事なり。然るを後の世に、この玉かずらを、山かずらの誤りなる事を知らずして、影と続きたるを、懸の意と心得たるは、ひがことなり。又十三の巻に、「斎串立て」云云「雲聚の玉蔭見ればともしも」、こはうずに垂れたる日かげのかずらなり。十六の巻に、「あしひきの玉かずらの児」とあるは、あしひきのとあれば、山なること論無し。即ち「玉久世の清き河原」云云と云う歌も、ならべる歌には、山かずらの児とあり。さて件の例どもによりて思えば、十一の巻に、山代の久世の河原なりけむを、山を玉に、能を清に誤り、代を脱せるにこそ。玉久世と云うことは、有るべくも覚えず。
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『玉勝間』十二の巻 夜をよさり又ようさりと云ふ事今の俗に、夜を、よさりとも、ようさりとも云うは、古き言なり。催馬楽の刺櫛の歌に、あさなとり、ようさりとりとあり。朝取夕取と云う事なり。
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