玉勝間 / 七の巻 年の始のせちと云ふ事
年のはじめに、いはゆる振舞などする事を、節と云ふ。壬生ノ忠見家集に、或るところの屏風、正月せちするところ有、春霞たつと云ふ日をむかへつつ年のあるじと我やなりなむ。
書き下し
年のはじめに、いわゆる振る舞いなどする事を、節と云う。壬生の忠見家集に、或るところの屏風、正月せちするところ有り、春霞たつと云う日をむかえつつ年のあるじと我やなりなむ。
現代語訳
年の初めに、いわゆる振る舞い(客をもてなす宴)などをすることを「節(せち)」という。壬生忠見の家集に、「ある所の屏風に、正月に節をしているところがある」として、「春霞が立つという日(立春・元日)を迎えるたびに、年のあるじとして私は客を迎えることになるのだろうか」とある。
解説
年始の宴を「せち」と呼ぶ言葉の古い例を、平安中期の歌人壬生忠見の家集から示した段である。せちは「節」の字音で、もとは節日の宮中の宴を指し、そこから年始に客を招いてもてなす振る舞いをいうようになった。今も「おせち料理」の名に残る言葉である。忠見の歌は屏風絵に添えたもので、春霞の立つ元日を迎えるたびに、自分は年のあるじとして客を迎えるのだろうか、と詠む。「年のあるじ」には、年を迎える家の主という意味と、新しい年の主人という意味が重なっている。宣長は、今も使われる年中行事の言葉が平安の歌にすでに見えることを、短く書き留めた。正月の習いの言葉に、千年の歴史が重なっていることが分かる。身近な行事の名から、古い言葉の用例をたどる宣長らしい書き抜きである。
関連する章句
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