玉勝間 / 七の巻 世の人仏の道に心のよりやすき事
ほとけの道には、さばかりさかしだちたる、今の世の人の心も、移り易きは、必ず其道よろしと、思ひとれるにしも有らねど、昔よりあまねく盛りにて、おしなべて世ノ中の人の、皆行ふわざなるに、かたへは催さるるぞ多かりける。すべてなにわざも、世にあまねく、人の皆する事には、誰れもすずろに心のより易きならひぞかし。
書き下し
ほとけの道には、さばかりさかしだちたる、今の世の人の心も、移り易きは、必ずその道よろしと、思いとれるにしも有らねど、昔よりあまねく盛りにて、おしなべて世の中の人の、皆行うわざなるに、かたえは催さるるぞ多かりける。すべてなにわざも、世にあまねく、人の皆する事には、誰れもすずろに心のより易きならいぞかし。
現代語訳
仏の道には、あれほど賢ぶっている今の世の人の心も移りやすいのは、必ずしもその道がよいと思い定めたからではないが、昔から広く盛んで、世の中の人が総じてみな行っていることなので、半ばはそれに誘われるからであることが多い。総じてどんなことも、世に広く行われ、人がみなすることには、誰でもなんとなく心が寄りやすいのが習いである。
解説
前の段に続き、人がなぜ仏教に心を寄せるのかを、世の習いの力から説明した短い段である。今の世の人は賢そうに振る舞うが、仏教に心が移りやすいのは、教えの善し悪しを見きわめたからではなく、昔から広く行われ、周りの皆がしているから、それに誘われるのだと宣長は言う。そして、何事も世に広まって皆がしていることには、人は理由もなく心が寄るものだ、と一般化する。いわゆる同調の心理を、宣長は的確に言い当てている。これは仏教に限らない。流行の考え方や習慣、多くの人が支持する意見に、私たちは中身を吟味する前に引き寄せられる。宣長自身は、世の大勢に逆らって古道を説いた人であった。皆がしているから正しい、とは限らない。自分の選択がどこまで自分の判断によるものかを問い直させる一段である。
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 もろこしに名高き物しり人の仏法を信じたりし事仏の道は、もろこしの国にて、世々に名高き儒者などの中にも、信じ尊みたるが、あまた聞こゆるによりては、まことに捨てがたき物にこそ、と思う人あんめれど、かのもろこしにて、然か名高き物知り人どもの、仏を信じ尊みたるようなるは、まことの心に信じ尊みたるは、いと少なくて、多くはただもてあそびたるにこそ有れ。さるは彼の道の説けるよう、あやしく広く大きにして、この世のほかを、とおく深く、さとり明らめたるさま、すべての心の掟など、めずらかにおかしき物なるが故に、詩作る人などは、更にも云わず、さらぬも、これをもてあそびて、風流のたすけにぞしたんめる。またその諸宗に、高僧と聞こゆる法師どもの中にも、実に尊み信じて、行いたるには有らで、世の中の人に尊まれ、いさぎよくいみしき名をとどめて、後の世まで仰がれむ為に、その道の書を深く学び、もろもろの欲をも忍び、たえがたき行いをもして、まことしげに振る舞いたるぞ、多く見えたんめる。そもそも利のため名のためには、命をさえに、惜しまぬたぐいも有るわざなれば、何かは、それはた怪しむべき事にも有らずかし。
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『玉勝間』七の巻 道を説く事はあだし道道の意にも世の人のとりとらざるにもかかはるまじき事道を説かむに儒にまれ、老にまれ、仏にまれ、稀れ稀れに心ばえの通える所の有るを捉えて、おのが心のひくかたにまかせて、通わぬ所をも、すべてその筋に引きよせて説きなし、或いはまた他道と同じからん事を、いといさけて、殊更にけじめを見せ、さまを変えて説かむとする、これら皆いとあじきなくしいたるわざなり似ざらむも似たらむも、異ならむも同じからむも、とにかくに異道の意には、いささかもかかわるべきわざにあらず。またかく説きたらむには、世にうけひかじ、かく云いてこそ、人は信ぜめなど、世の人の心をとりて、いささかも説き曲げむ事は、またいと有るまじく、心ぎたなきわざなり。すべて世の人の褒め謗りをも、思うべきにはあらず。たとい、あだし道々とは、うらうえのたがいあり、世にも絶えて信ずる人無からむにても、ただ神の御ふみの趣のままにこそは、説くべきわざなりけれ。
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『玉勝間』四の巻 兼好法師が詞のあげつらひすべて何事も、なべての世の人の真心にさかいて、ことなるを善き事にするは、外国のならいのうつれるにて、心を作り飾れる物と知るべし。
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『玉勝間』七の巻 もろこしの老子の説まことの道に似たる所ある事大かた万ずの事、おのずからこれにも彼れにも、通いて似たる事は、必ずまじる物にて、この道も、儒のおもむきと通えるところも交じり、仏の道とも似たる事はまじれれば、おのずから彼の老子とも、かたはし似たるところ通えるところは、などか交じらでは有らむ。
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『玉勝間』二の巻 あらたに云ひ出たる説はとみに人のうけひかぬ事然れどもまたまれまれには、新なる説の善きを聞きては、古きが悪しき事をさとりて、すみやかに改め従うたぐいも、無きにはあらず。古きをいかにぞや思いて、かくはあらじかとまでは思いよれども、みずから定むる力無くて、疑わしながら、さて有るなどは、あらたなる善き説を聞きては、斯くてこそはと、いみしく喜びつつ、たちまちに従うたぐいも有りかし。大かた新なる説は、いかに善くても、すみやかには用うる人まれなるものなれど、善きは、年をへても、おのずからつひには世の人のしたがうものにて、あまねく用いらるれば、その時にいたりては、始めにねたみそしりしともがらも、心には悔しく思えど、おくればせに従わむも、猶ねたく、人わろくおぼえて、心よからずながら、古きをまもりてやむともがらも多かり。しか世の中の論さだまりて、皆人のしたがう世に成りては、始めよりすみやかに改めしたがいつる人は、かしこく心さとく思われ、古きにかかずらいて、とかくとどこおれる人は、心おそく云うかいなく思わるるわざぞかし。
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『玉勝間』四の巻 ひとむきにかたよることの論ひ世の物知り人の、他の説の悪しきをとがめず、一むきにかたよらず、これをもかれをも捨てぬさまに論をなすは、多くはおのが思いとりたる趣をまげて、世の人の心に、洽くかなえむとするものにて、まことに有らず、心ぎたなし。たとい世の人は、いかにそしるとも、わが思う筋をまげて、従うべき事にはあらず、人のほめそしりにはかかわるまじきわざぞ。大かた一むきにかたよりて、他説をば、悪ろしととがむるをば、心せばく善からぬ事とし、ひとむきにはかたよらず、他説をも、悪ろしとは云わぬを、心ひろくおいらかにて、善しとするは、なべての人の心なめれど、必ずそれさしも善き事にもあらず。よる所定まりて、そを深く信ずる心ならば、必ずひとむきにこそよるべけれ、それにたがえる筋をば、とるべきに有らず。善しとしてよる所に異なるは、皆悪しきなり、これ善ければ、かれは必ず悪しきことわりぞかし。然るをこれも善し、またかれも悪しからずと云うは、よる所さだまらず、信ずべき所を、深く信ぜざるものなり。
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