玉勝間 / 七の巻 香をきくと云ふは俗言なる事
香を聞っと云ふは、もと漢言にて、古、の詞にあらず。すべて物の香は、薰物などをも、かぐと云ふぞ雅言にて、古今集の歌などにも、花たちばなの香をかげばと見え、源氏物語の梅枝ノ卷に、たき物どものおとりまさりを、兵部卿ノ宮の論め給ふところにも、人人の心心に合せ給へる、深さ淺さを、かぎあはせ給へるに、などこそ見えたれ。聞と云へる事は、昔の書に見えたる事無し。今の世の人は、そをば知らで、香などをかぐと云はむは、いやしき詞のごと心得ためるは中中のひがことなり。聞くと云ふぞ、俗言には有ける。
新字:香を聞っと云ふは、もと漢言にて、古、の詞にあらず。すべて物の香は、薫物などをも、かぐと云ふぞ雅言にて、古今集の歌などにも、花たちばなの香をかげばと見え、源氏物語の梅枝ノ巻に、たき物どものおとりまさりを、兵部卿ノ宮の論め給ふところにも、人人の心心に合せ給へる、深さ浅さを、かぎあはせ給へるに、などこそ見えたれ。聞と云へる事は、昔の書に見えたる事無し。今の世の人は、そをば知らで、香などをかぐと云はむは、いやしき詞のごと心得ためるは中中のひがことなり。聞くと云ふぞ、俗言には有ける。
書き下し
香を聞くと云うは、もと漢言にて、古の詞にあらず。すべて物の香は、薫物などをも、かぐと云うぞ雅言にて、古今集の歌などにも、花たちばなの香をかげばと見え、源氏物語の梅枝の巻に、たき物どものおとりまさりを、兵部卿の宮の論め給うところにも、人々の心々に合わせ給える、深さ浅さを、かぎあわせ給えるに、などこそ見えたれ。聞くと云える事は、昔の書に見えたる事無し。今の世の人は、そをば知らで、香などをかぐと云わむは、いやしき詞のごと心得ためるはなかなかのひがことなり。聞くと云うぞ、俗言には有りける。
現代語訳
香を「聞く」と言うのは、もとは漢語の言い方で、昔の言葉ではない。総じて物の香は、薫物(たきもの)などについても「かぐ」と言うのが雅な言葉であって、古今集の歌などにも「花たちばなの香をかげば」と見え、源氏物語の梅枝の巻で、薫物の優劣を兵部卿の宮が判定なさるところにも、「人々がそれぞれの心で調合なさった香の深さ浅さを、かぎ比べなさると」などと見える。「聞く」と言ったことは、昔の書物に見えたことがない。今の世の人はそれを知らずに、香などを「かぐ」と言うのは卑しい言葉のように心得ているようだが、それはかえって大きな誤りである。「聞く」と言うのこそ、俗な言葉なのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』九の巻 口あかさぬと云ふことば今の世の言に、人に口あかさぬと云うこと有り、開口のこころばえなり。源氏の物語帚木の巻に、ざえのきわ、なまなまのはかせはずかしく、すべてくちあかすべくなむ侍らざりしと有り、古き詞なりけり。
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『玉勝間』一の巻 言をもじと云ふ事歌のみそじひともじを、近きころ古学するともがらは、字と云う事をきらいて、卅一言と云い、五もじ七もじなどをも、五言七言とのみ云うなれども、古今集の序にも、みそもじあまりひともじと有りて、古えより斯く云えり。すべてもじと云うは、文字の字の音にて、御国言にはあらざれども、もんじと云わずして、もじと云えば、字の音とも聞こえず、御国言めきてきこゆる。この外にも、ほうし、ぜに、ふみなどのたぐい、字の音を直して、やがて御国言に用いたる例多かり。されば古き物語ぶみなどにも、詞をことばと云いて悪ろき所をば、もじと云えること多し。のもじ、をもじなど云う類なり。これらをも、近く古学の輩の、のの語、をの語など云うなるは、中々にからめきてぞ聞こゆる。源氏物語などには、別と云う事をすら、わかれと云うもじと云い、葵の巻には、今はさるもじいませ給えなど有るも、さる詞と云う事なり。かく詞と云いても善きをだに、もじと云える事あれば、まして五もじ七もじのもじをもじなどのたぐいは、さらなり。
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『玉勝間』十三の巻 梅の花の歌に香をよむ事梅の花の歌には、香をむねと詠む事なれども、万葉集には、梅の歌いと多かるに、香を詠めるは、ただ廿の巻に、うめの花香をかぐわしみ、遠けども心もしぬに君をしぞ思う、とある一つのみにて、これをおきては、見えず。古えはすべて香をめずる事は無かりしなり。橘の歌も、万葉にいと多けれども、それも香を詠めるは、十七の巻と十八の巻とに、ただ二首あるのみなり。その外十の巻に、茸を詠める歌、高円のこの峰もせに笠立てて、みちさかりなる秋の香のよさ、と詠めるなどより外には、すべて物の香をめでたる歌は見えず。においと多く詠めるは、みな色のにおいにて、鼻にかがるる香にはあらず。さて件の十の巻なる歌は、松茸を詠めるにぞ有りける。はしに詠芳とある、芳の字は、茸を写しひがめたるなり。
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『玉勝間』十二の巻 妻をむかふ、酒をくむ今の世の歌よみの、詞書などに、某の妻をむかえられたるをことぶきて、詠みておくりけるなど、妻を迎うと書く事、定まりのようなり。これ雅言にあらず。古に然いえること無し。妻をもうけとこそ書くべけれ。古はすべて、男をもうく、子をもうくなどぞ云いける。また酒をくむと云うことも、今の世の歌人の、定まれる事なれど、これもみやび言にあらず。すべて酒をくみてのむは、戎国の俗にこそあれ、皇国にはさる事は、古えも今も、有る事なし。されば古くは、歌にも文にも、くむと云えることは、おさおさ見えず、ただのむとこそ云えれ。然るを今の歌人は、いにしえの例をば考えずして、ただおしあてに、妻をもうく、酒をのむとは、今の俗につねに云うことなれば、雅たらず、むかうと云い、くむと云わむこそ、雅たらめとぞ、心得ためる。そはかの香を聞くと云うたぐいにて、なかなかに古にたがえる俚言なる物をや。
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『玉勝間』四の巻 御と云ふ詞のつかひざまの一つ源氏物語に、仏の御かりょうびんがの声、御ひとつ腹、御まえわたり、宮の御侍従の乳母、仏の御同じ帳台、宮の御二条の北の方、など有るこれらの御ちょう詞、今の世の心にて思えば、仏のかりょうびんがの御こえ、ひとつ御はら、宮の侍従の御乳母、仏の同じ御帳台、宮の二条の御北の方、と云うべきに、置きどころかわりて聞こゆ、心得おくべし。御まえわたりも、御は、わたりへかかりて、前へはかからず。
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『玉勝間』七の巻 ゐなかに古への雅言ののこれる事すべて田舎には、古の言の残れること多し、殊に遠き国人の云う言の中には、面白き事どもぞまじれる。おのれ年頃心をつけて、遠き国人の、とぶらい来たるには、必ずその国の詞を問い聞きもし、その人の云う言をも、心とどめて聞きもするを、なお国々の詞どもを、あまねく聞きあつめなば、いかに面白きこと多からん。近き頃、肥後の国人のきたるが、云うことを聞けば、世に見える聞えるなど云うたぐいを、見ゆる聞こゆるなどぞ云うなる。こは今の世には絶えて聞こえぬ、雅びたることばづかいなるを、その国にてはなべてかく云うにやと問いければ、ひたぶるの賤山がつは皆、見ゆる、きこゆる、さゆる、たゆる、などように云うを、少し言葉をもつくろう程の者は、多くは見える、聞える、とように云うなり、とぞ語りける。そはなかなか今の世の俗き云いざまなるを、なべて国々の人の云うから、そを善き事と心得たるなんめり。
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