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玉勝間 / 七の巻 おのれとり分て人につたふべきふし無き事

おのれは、道の事も歌の事も、あがたゐのうしの〓のおもむきによりて、唯だ古、の書共を、考へさとれるのおのれは、考へさとれるのみこそ有れ、其家の傳へごととては、うけ傳へたる事更に無ければ、家家のひめことなど云ふかぎりは、いかなる物にか、一ッだに知れる事無し。されば又、人にとりわきて殊に傳ふべきふしも無し。總て善き事は、いかにもいかにも、世に弘くせまほしく思へば、古への書共を考へて、さとり得たりと思ふかぎりは、みな書に書きあらはして、露も残しこめたる事は無きぞかし。おのづからも、おのれに從ひて、物まなばむと思はむ人有らば、唯だあらはせる書共を、よく見て有りぬべし。そをはなちて外には、更に〓ふべきふしは無きぞとよ。

新字:おのれは、道の事も歌の事も、あがたゐのうしの〓のおもむきによりて、唯だ古、の書共を、考へさとれるのおのれは、考へさとれるのみこそ有れ、其家の伝へごととては、うけ伝へたる事更に無ければ、家家のひめことなど云ふかぎりは、いかなる物にか、一ッだに知れる事無し。されば又、人にとりわきて殊に伝ふべきふしも無し。総て善き事は、いかにもいかにも、世に弘くせまほしく思へば、古への書共を考へて、さとり得たりと思ふかぎりは、みな書に書きあらはして、露も残しこめたる事は無きぞかし。おのづからも、おのれに従ひて、物まなばむと思はむ人有らば、唯だあらはせる書共を、よく見て有りぬべし。そをはなちて外には、更に〓ふべきふしは無きぞとよ。

書き下し

おのれは、道の事も歌の事も、あがたいのうしの教えのおもむきによりて、ただ古の書どもを、考えさとれるのおのれは、考えさとれるのみこそ有れ、その家の伝えごととては、うけ伝えたる事更に無ければ、家々のひめことなど云うかぎりは、いかなる物にか、一つだに知れる事無し。されば又、人にとりわきて殊に伝うべきふしも無し。総て善き事は、いかにもいかにも、世に弘くせまほしく思えば、古の書どもを考えて、さとり得たりと思うかぎりは、みな書に書きあらわして、露も残しこめたる事は無きぞかし。おのずからも、おのれに従いて、物まなばむと思わむ人有らば、ただあらわせる書どもを、よく見て有りぬべし。そをはなちて外には、更に教うべきふしは無きぞとよ。

現代語訳

私は、道のことも歌のことも、県居の大人(賀茂真淵)の教えの趣旨に従って、ただ古の書物を考えて悟ったのであり、考えて悟ったことがあるだけで、どこかの家の伝授事として受け継いだことはまったくないので、家々の秘事などというものは、どのようなものなのか、一つも知っていることはない。だからまた、人に特別に伝えるべき事柄もない。総じてよいことは、何としても世に広めたいと思うから、古の書物を考えて悟り得たと思うことは、すべて書物に書き表して、少しも隠しとどめていることはないのである。もし私に従って学ぼうと思う人がいるなら、ただ私の著した書物をよく読めばよい。それを離れては、ほかにさらに教えるべきことは何もないのである。

解説

秘伝を持たないことを宣言した、宣長の学問観がよく表れた一段である。当時の歌学や神道には、家ごとに秘事を師から弟子へひそかに伝える「伝授」の慣習があり、古今伝授はその代表であった。宣長は、自分の学問は真淵の教えに従って古典を自ら考えて得たもので、どこの家の伝授も受けていないから、秘事など一つも知らないと言う。そして、よいことは世に広めたいから、悟り得たことはすべて著書に書いて一つも隠していない、学びたい者は著書を読めばよい、と言い切る。知を特定の家や弟子に独占させるのではなく、書物として公開し、誰でも読んで検証できるようにする。宣長のこの姿勢は、学問を開かれたものにするという点で近代的である。自分の知っていることを出し惜しみせず共有することは、今の仕事や研究でも信頼の基礎になる。

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