玉勝間 / 七の巻 もろこしの老子の説まことの道に似たる所ある事
おのれ今まことの道の趣を見明らめて、解きあらはせるを、漢學のともがら、かの國の老子と云ふ者の說によれり、と思ひ云ふ人、これかれ有り。そもそもおのが道を說く趣は、いささかも私のさかしらをば交へず、神典に見えたるままなる事、あだし注釋どもと、くらべ見て知べし。斯くてその趣の、たまたま彼の老子と云ふ者の言と、似たるところどころの有るを見て、ゆくりなく、其れによりて云へりとは、例のかのもろこしの國をおきて外に國は無く、かの國ならでは、何事も始まらぬ事と、ひたおもむきに思ひとれる、ひが心より、さは思ふなンめり。古へより、漢ノ國と通へること無く、たがひに聞キも及ばざりし國國にも、程程につけつつ、有べきかぎりの事は、おのおの本より有りける中にも、殊に皇國は、萬の國の本、よろづの國の宗と有る御國なれば、萬ノ國國にわたりて、正しきまことの道は、唯だ皇國にこそ傳はりたれ、他國には、傳はれる事無ければ、此道を知ることあたはず。然るにもろこしの國に、かの老子と云ひしは、すぐれて賢くたどり深き人にこそ有けめ。
新字:おのれ今まことの道の趣を見明らめて、解きあらはせるを、漢学のともがら、かの国の老子と云ふ者の説によれり、と思ひ云ふ人、これかれ有り。そもそもおのが道を説く趣は、いささかも私のさかしらをば交へず、神典に見えたるままなる事、あだし注釈どもと、くらべ見て知べし。斯くてその趣の、たまたま彼の老子と云ふ者の言と、似たるところどころの有るを見て、ゆくりなく、其れによりて云へりとは、例のかのもろこしの国をおきて外に国は無く、かの国ならでは、何事も始まらぬ事と、ひたおもむきに思ひとれる、ひが心より、さは思ふなンめり。古へより、漢ノ国と通へること無く、たがひに聞キも及ばざりし国国にも、程程につけつつ、有べきかぎりの事は、おのおの本より有りける中にも、殊に皇国は、万の国の本、よろづの国の宗と有る御国なれば、万ノ国国にわたりて、正しきまことの道は、唯だ皇国にこそ伝はりたれ、他国には、伝はれる事無ければ、此道を知ることあたはず。然るにもろこしの国に、かの老子と云ひしは、すぐれて賢くたどり深き人にこそ有けめ。
書き下し
おのれ今まことの道の趣を見明らめて、解きあらわせるを、漢学のともがら、かの国の老子と云う者の説によれり、と思い云う人、これかれ有り。そもそもおのが道を説く趣は、いささかも私のさかしらをば交えず、神典に見えたるままなる事、あだし注釈どもと、くらべ見て知るべし。かくてその趣の、たまたま彼の老子と云う者の言と、似たるところどころの有るを見て、ゆくりなく、それによりて云えりとは、例のかのもろこしの国をおきて外に国は無く、かの国ならでは、何事も始まらぬ事と、ひたおもむきに思いとれる、ひが心より、さは思うなんめり。古より、漢の国と通えること無く、たがいに聞きも及ばざりし国々にも、程々につけつつ、有るべきかぎりの事は、おのおの本より有りける中にも、殊に皇国は、万の国の本、よろずの国の宗と有る御国なれば、万の国々にわたりて、正しきまことの道は、ただ皇国にこそ伝わりたれ、他国には、伝われる事無ければ、この道を知ることあたわず。然るにもろこしの国に、かの老子と云いしは、すぐれて賢くたどり深き人にこそ有りけめ。
現代語訳
私が今、まことの道の趣旨を見きわめて説き明かしたのを、漢学の者たちの中には、あの国の老子という者の説によったものだと思い、言う人があれこれいる。そもそも私が道を説く趣旨は、少しも私的な小賢しい考えを交えず、神典に見えているままであることは、ほかの注釈書と比べてみればわかるはずである。そうしてその趣旨が、たまたまあの老子という者の言葉と似ているところどころがあるのを見て、軽々しくそれによって言ったのだとするのは、例の、あの中国という国のほかに国はなく、あの国でなければ何事も始まらないと、ひたすら思い込んでいる偏った心から、そう思うのであろう。昔から中国と行き来がなく、互いに聞き及ぶこともなかった国々にも、それぞれ程度に応じて、あるべき限りのことはもとからあったが、その中でもとりわけ皇国は、あらゆる国の本、あらゆる国の宗主である御国なので、あらゆる国々を通じて、正しいまことの道は、ただ皇国にだけ伝わっている。他国には伝わっていないので、この道を知ることはできない。ところが中国のあの老子という人は、すぐれて賢く、考えの深い人であったのだろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 もろこしの老子の説まことの道に似たる所ある事世のこちたくさかしだちたる事は上べこそよろしきに似たれ、まことには、いとよろしからず、なかなかの物害いとなる事をさとりて、まことの道はかくこそ有るべきものなれと、はしばしみずから考え出でたる事の中に、考えあてて、たまたまこのまことの道に似たるふし、合える事も有るなりけり。さるは、まことの道は、もとより人のさかしらを加えたる事無く、皇神の定めおき給えるままなる道にし有れば、その趣を説かむには、彼れが、さかしらをにくめる説は、おのずから似たるところ、合えるところ有るべきことわりなり。然かは有れども、彼れが云えるは、ただおのが智慮もて、考え出でたるかぎりにこそ有れ、皇国に生まれて、正しくこの道を聞けるにあらざれば、その主と有る本の心は、知ることあたわず、いたくたがいて、さらに似もつかぬ事なるを、彼の漢学のともがら、然かたがえるところをば知らで、たまたまかたはし似たる事の有るを捉えて、それによれりとしも云いなすは、いとおこなりかし。
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『玉勝間』七の巻 もろこしの老子の説まことの道に似たる所ある事大かた万ずの事、おのずからこれにも彼れにも、通いて似たる事は、必ずまじる物にて、この道も、儒のおもむきと通えるところも交じり、仏の道とも似たる事はまじれれば、おのずから彼の老子とも、かたはし似たるところ通えるところは、などか交じらでは有らむ。
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『玉勝間』七の巻 道を説く事はあだし道道の意にも世の人のとりとらざるにもかかはるまじき事道を説かむに儒にまれ、老にまれ、仏にまれ、稀れ稀れに心ばえの通える所の有るを捉えて、おのが心のひくかたにまかせて、通わぬ所をも、すべてその筋に引きよせて説きなし、或いはまた他道と同じからん事を、いといさけて、殊更にけじめを見せ、さまを変えて説かむとする、これら皆いとあじきなくしいたるわざなり似ざらむも似たらむも、異ならむも同じからむも、とにかくに異道の意には、いささかもかかわるべきわざにあらず。またかく説きたらむには、世にうけひかじ、かく云いてこそ、人は信ぜめなど、世の人の心をとりて、いささかも説き曲げむ事は、またいと有るまじく、心ぎたなきわざなり。すべて世の人の褒め謗りをも、思うべきにはあらず。たとい、あだし道々とは、うらうえのたがいあり、世にも絶えて信ずる人無からむにても、ただ神の御ふみの趣のままにこそは、説くべきわざなりけれ。
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『玉勝間』十四の巻 世の人まことの道に心つかざる事もろこしの国には、道教と云うもの、世々に盛んに行われて、大かた仏道とひとしきばかりなり。この道、老子を祖とはたつれども、老子が意とはいたく異にして、ただあやしき戯れわざのようなる事にて、そのむねを極むれば、ようなきいたずら事なり。皇国に、この道のわたりもうでこざるは幸いなり。然は有れども、天の下の人の心、仏道と儒道とに、ことごとく奪われ果てたるは、又なげかしき事なり。大かた天下の人、上中下、さかしき愚かなる、おしなべて、奥山の山賤までも、仏を信ぜざるは一人も無く、その中に、角なる字をもいささか読むほどの者は、又なかば儒意をまじえて、万ずの事を思い定むめり。されば、神のまことの道を思う人は、千万人の中に、ただ一人二人にて、その余は神社につかうる人の中に、稀れ稀れさすがに己が家の業と思い得て、神の道を尊ぶもあれど、さる人も、多くは仏意儒意なり。又神の道と云うも、皆儒仏によりて説きまげたる物なれば、まことの道は、大かた絶えはてたるも同じ事なり。
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『玉勝間』七の巻 唐の国人あだし国ある事を知らざりし事かくてそのよく知れる胡国などは、いたずらに広きのみにして、いといやしく悪ろき国なるを、つねに見しり聞き知りては、他国はいずれも皆、かかる物とのみ思えりしから、何事もただ尊きは、吾ひとりと、みだりにほこれるなり。古あだし国の事を、弘く知らざりし程こそ、さも有らめ、近き世になりて、遠き国々の事も、皆よく知られても、なお古よりの癖を、改むる事無く、今に同じさまに、ほこりおるなるを、皇国にても、学問をもする人は、今は万の国々の事をも、大かた知りたるべきに、なお昔よりの癖にて、もろこし人のみだりごとを信じて、ひたぶるに彼の国を尊みて、何事も皆、彼の国より始まれるように思い、彼の国より外に、国は無きごと心得居るは、いかなるまどいぞや。
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『直毘霊』垣内を離れて見れば古えは道という言挙げなかりし故に、古書どもに露ばかりも道々しき意も語も見えず、故舎人親王を始め奉りて、世々の識者ども、道の意をえ捉えず、唯彼の道々しきことこちたく言える、唐書の説のみ、心の底に染み着きて、其を天地の自ずからなる理と思い居る故に、すがるとは思わねども、自ずからそれにまつわれて、彼方へのみ流れゆくめり、されば異国の道を道の羽翼となるべき物と思うも、即ち其の心の彼処へ奪われつるなりけり、大方漢国の説は、彼の陰陽乾坤などをはじめ、諸皆、もと聖人どもの己が智をもて、推し量りに作り構えたる物なれば、うち聞きには、理深げに聞こゆめれども、彼が垣内を離れて外よりよく見れば、何ばかりのこともなく、中々に浅はかなることどもなりかし、されど昔も今も世人の此の垣内に迷い入りて、え出で離れぬこそ口惜しけれ、大御国の説は、神代より伝え来しままにして、いささかも人のさかしらを加えざる故に、上辺は唯浅々と聞こゆれども、実には底ひもなく、人の智のえ測らぬ、
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