玉勝間 / 七の巻 ほやのいずし
肥前ノ國の佐伯の海に、ほやと云ふ物あり。紫色にて、海鼠の如くなる形したる物なりと、佐伯の人かたれり。然らば土左日記に、ほやのいずしと有るは、それを飯ずしにしたるなるべしと、或人云へり。
新字:肥前ノ国の佐伯の海に、ほやと云ふ物あり。紫色にて、海鼠の如くなる形したる物なりと、佐伯の人かたれり。然らば土左日記に、ほやのいずしと有るは、それを飯ずしにしたるなるべしと、或人云へり。
書き下し
肥前の国の佐伯の海に、ほやと云う物あり。紫色にて、海鼠のごとくなる形したる物なりと、佐伯の人かたれり。然らば土左日記に、ほやのいずしと有るは、それを飯ずしにしたるなるべしと、或る人云えり。
現代語訳
肥前国の佐伯の海に、「ほや」というものがいる。紫色で、なまこのような形をしたものだと、佐伯の人が語った。それならば、土佐日記に「ほやのいずし」とあるのは、それを飯鮨(いずし)にしたものであろうと、ある人が言った。
解説
土佐日記の難語「ほやのいずし」を、九州の人の話から解こうとした段である。土佐日記には、正月の供え物として「ほやのつまのいずし」などの語が出てきて、何を指すか古くから議論があった。佐伯の人によれば、ほやは紫色でなまこのような形の海の生き物だという。それなら、ほやを飯と漬けて発酵させた飯鮨のことだろう、とある人が言った。ほやは今も三陸などで食べられる海産物で、宣長の時代には都の人になじみの薄いものであった。古典の注釈は書物の中だけでは行き詰まることがあり、その土地に今も生きている物や言葉が手がかりになる。宣長は自説として断定せず、「或人云へり」と他人の説として記している。出どころを分けて書く慎重さも、この段の読みどころである。
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