玉勝間 / 七の巻 やいとう
文覺法師が、正治二年に、鎌倉の將軍賴家朝臣に、返り事におくりたりし書に云はく、あつきやいとうを、ねんじてやけば、やまひいえ候なり、と云へる言あり。君と有る人の、臣のいさめを受け入るべき、譬へに云へる語なり。やいとうと云へる事、めづらしく覺えて、書きいでておきつるなり。
新字:文覚法師が、正治二年に、鎌倉の将軍頼家朝臣に、返り事におくりたりし書に云はく、あつきやいとうを、ねんじてやけば、やまひいえ候なり、と云へる言あり。君と有る人の、臣のいさめを受け入るべき、譬へに云へる語なり。やいとうと云へる事、めづらしく覚えて、書きいでておきつるなり。
書き下し
文覚法師が、正治二年に、鎌倉の将軍頼家朝臣に、返り事におくりたりし書に云わく、あつきやいとうを、ねんじてやけば、やまいいえ候なり、と云える言あり。君と有る人の、臣のいさめを受け入るべき、譬えに云える語なり。やいとうと云える事、めずらしく覚えて、書きいでておきつるなり。
現代語訳
文覚法師が正治二年に鎌倉の将軍源頼家朝臣へ返事として送った書状に、「熱いお灸を我慢して据えれば、病は治るのでございます」という言葉がある。君主たる人が臣下の諫めを受け入れるべきことのたとえに言った言葉である。「やいとう」という言葉が珍しく思われたので、書き出しておいたのである。
解説
文覚が源頼家に送った手紙から、「やいとう」という語を書き留めた段である。文覚は源頼朝に挙兵を勧めたと伝えられる荒法師で、頼朝の死後、若い将軍頼家に諫言の手紙を送った。熱い灸も我慢して据えれば病が治る、同じように耳の痛い臣下の諫めも受け入れよ、というたとえである。宣長が注目したのは内容より言葉で、灸をいう「やいと」の古い形「やいとう」が鎌倉初期の文に見えることを珍しく思ったのである。やいとは「焼き処」から来た語とされ、今も関西などで灸を「やいと」と呼ぶ。それでも宣長が引用を省かずに示したことで、良薬は口に苦しに通じる諫言の比喩も後世に残った。頼家はこの後まもなく失脚し、若くして死ぬ。諫めを聞けなかった者の運命を思えば、灸のたとえはいっそう重い。
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 東宮御炙治増鏡に、後宇多の天皇の、いまだ東宮におわしましける程、御病の時、くすしの申すによりて、御灸治の事有べき由を云える所に、いまだ例無き事は、いかが有べきと、定めかねらる。位にては、ただ一たびためし有けり。春宮にては、いまださるためし無かりけれど、いかがはせむとて、おぼし定むと有り。高倉の天皇厳島御幸の記に、御灸の事見えて、さきの巻に引出たり。ただ一たびためし有とは、是れを申せるにや。されどこれは、御位のほどには有らず、おりいさせ給いて後なり。
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『玉勝間』一の巻 実名を呼ぶをなめしとする事同じ書に、平の政子が頼家を諫めたる語に、源氏等は幕下の一族、北条は我が親戚なり、仍て先人しきりに芳情を施され、常に座右に招かしめ給う、而るに今彼の輩等に於いて、優賞無く、剰え皆実名を喚ばしめ給うの間、各々恨みを貽すの由、其の聞こえ有りとあり。人の実名をよぶことをば、無礼しとする事、これにても知るべし。
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『玉勝間』五の巻 太上皇の御灸治土御門の内大臣通親公の書き給える、厳島御幸の道の記に、御幸かえらせ給いて後の所に云わく、かくて御痩せもただならずなど聞えて、くすしども申しすすめて、御きゅうじなどぞきこえし、と有り。帝の御灸治めずらし。
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『玉勝間』一の巻 鎌倉右大臣の名みかどより給へる事愚管抄に云わく、千万御前、元服せさせて、実朝と云う名も、京より給わりて、建仁三年十二月八日、やがて将軍宣下申しくだして云々。
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『正法眼蔵随聞記』巻一亦物語に云く、故の鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有し時、内裡の辺に、日はれの会に出仕の時、一人の不当人ありき、其時の大納言あふせて云く、是を制すべしと、大将の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の将軍なりと、大納言の云く、近か近かなればなりと、大将の云く、其の人に非ずと、是れ美言なり、此の心にて後には世をも治められしなり、今の学人も其心あるべし、其人にあらずして人を呵すること莫れ、
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『玉勝間』一の巻 年ノ始に病を歓楽といふ事同書に云う、承元二年正月十一日云々、将軍家御歓楽に依りて、延びて今日に及ぶ、今の世にも、年のはじめには、病と云う事をいみて、御歓楽と云うならわしのこれり。
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