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玉勝間 / 七の巻 朝鮮の人のことば

同じ人のかたりけるは、今朝鮮の國人の語、いやしき者は、訓と字音とを連ねて云ひ、よろしき者は、字音にて云ふ。例へばいやしきものは、刀をハンドウ、火をフルハアと云ふ。ハンは刀の訓、トウは其字音なり。フルは火の訓、ハアは其字音なり。そをよろしき者は、刀をトウ、火をハアと云ふ。萬づの言、みな此でうなりと語りき。此人は、いにし天明三年に、かの國人の、石見ノ國に漂ひ來たりけるに、しばしば逢て、語る言を聞るなりと云へり。訓と云ふは、かの國の言、字音は漢字のかの國の音なり。

新字:同じ人のかたりけるは、今朝鮮の国人の語、いやしき者は、訓と字音とを連ねて云ひ、よろしき者は、字音にて云ふ。例へばいやしきものは、刀をハンドウ、火をフルハアと云ふ。ハンは刀の訓、トウは其字音なり。フルは火の訓、ハアは其字音なり。そをよろしき者は、刀をトウ、火をハアと云ふ。万づの言、みな此でうなりと語りき。此人は、いにし天明三年に、かの国人の、石見ノ国に漂ひ来たりけるに、しばしば逢て、語る言を聞るなりと云へり。訓と云ふは、かの国の言、字音は漢字のかの国の音なり。

書き下し

同じ人のかたりけるは、今朝鮮の国人の語、いやしき者は、訓と字音とを連ねて云い、よろしき者は、字音にて云う。例えばいやしきものは、刀をハンドウ、火をフルハアと云う。ハンは刀の訓、トウはその字音なり。フルは火の訓、ハアはその字音なり。そをよろしき者は、刀をトウ、火をハアと云う。万ずの言、みなこのじょうなりと語りき。この人は、いにし天明三年に、かの国人の、石見の国に漂い来たりけるに、しばしば逢いて、語る言を聞けるなりと云えり。訓と云うは、かの国の言、字音は漢字のかの国の音なり。

現代語訳

同じ人(小篠御野)が語ったところでは、今の朝鮮の国の人の言葉は、身分の低い者は訓と字音とを連ねて言い、身分のある者は字音で言う。たとえば身分の低い者は、刀を「ハンドウ」、火を「フルハア」と言う。「ハン」は刀の訓で、「トウ」はその字音である。「フル」は火の訓で、「ハア」はその字音である。それを身分のある者は、刀を「トウ」、火を「ハア」と言う。あらゆる言葉がみなこの調子だと語った。この人は、去る天明三年に朝鮮の人が石見国に漂着したときに、しばしば会って、話す言葉を聞いたのだという。「訓」というのはかの国の固有の言葉、「字音」とは漢字のかの国での読み方である。

解説

石見に漂着した朝鮮の人々の言葉について、小篠御野から聞いた話を記した段である。身分の低い者は固有語の訓と漢字音とを連ねて言い、身分の高い者は漢字音だけで言う、という。これは朝鮮語で漢字を学ぶとき、字の意味を表す固有語と字音を続けて唱える習慣を、日常の言葉づかいと受け取ったものと考えられ、観察としては正確でない部分もある。しかし宣長の関心は、漢字文化の中で固有の言葉と漢字の音がどう使い分けられるかにあった。日本でも和語と漢語が並び、漢語を尊ぶ風がある。朝鮮で上の者ほど漢字音を使うという話は、漢語を上品とし和語を卑しむ日本の風潮を映す鏡のようにも見えたであろう。鎖国下で異国の言葉に触れる機会は乏しく、漂流民との接触から得た生の情報を書き留めたこと自体に価値がある。

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