玉勝間 / 七の巻 さみせんと云ふ物の歌
或人の、今の世にあまねくもて遊ぶなる、さみせんと云ふ琴を書きたる繪に、歌詠みて書けと乞ひける。そは、いまやうのたはれたる物にて、古へ好むともがらなどは、いやしむるすぢの物なれば、いかにぞや、かたはらいたく覺えけれど、然もいなみがたき人の云ふ事なりければ、いかがはせむに、詠みて書けるうた、きかせばやいにしへ人に三のをのみつのしらべを心ひくやと。例の人にはわらはれむを、且つは怠りがてら、是れにさへ物しつ。ついでに、これも人の乞ひける、猿の木の實をもたるかた書きたるに、うまけれど食はぬぞ食ふにまさるべきこのみてくへばはらふくれけり。
新字:或人の、今の世にあまねくもて遊ぶなる、さみせんと云ふ琴を書きたる絵に、歌詠みて書けと乞ひける。そは、いまやうのたはれたる物にて、古へ好むともがらなどは、いやしむるすぢの物なれば、いかにぞや、かたはらいたく覚えけれど、然もいなみがたき人の云ふ事なりければ、いかがはせむに、詠みて書けるうた、きかせばやいにしへ人に三のをのみつのしらべを心ひくやと。例の人にはわらはれむを、且つは怠りがてら、是れにさへ物しつ。ついでに、これも人の乞ひける、猿の木の実をもたるかた書きたるに、うまけれど食はぬぞ食ふにまさるべきこのみてくへばはらふくれけり。
書き下し
或る人の、今の世にあまねくもて遊ぶなる、さみせんと云う琴を書きたる絵に、歌詠みて書けと乞いける。そは、いまようのたわれたる物にて、古好むともがらなどは、いやしむるすじの物なれば、いかにぞや、かたわらいたく覚えけれど、然もいなみがたき人の云う事なりければ、いかがはせむに、詠みて書けるうた、きかせばやいにしえ人に三のおのみつのしらべを心ひくやと。例の人にはわらわれむを、且つは怠りがてら、これにさえ物しつ。ついでに、これも人の乞いける、猿の木の実をもたるかた書きたるに、うまけれど食わぬぞ食うにまさるべきこのみてくえばはらふくれけり。
現代語訳
ある人が、今の世に広くもてはやされている三味線という琴を描いた絵に、歌を詠んで書いてくれと頼んできた。それは当世風の浮ついた物で、古を好む者たちなどは卑しむたぐいの物なので、どうかと思い、気恥ずかしく思われたが、断りにくい人の言うことだったので、しかたなく詠んで書いた歌。「聞かせたいものだ、昔の人に。この三筋の糸の調べを、心惹かれるかどうかと(三つの緒の調べが琴のように心を引くかと)」。いつものように人には笑われるだろうが、一方では言い訳がてら、これまでここに書き留めた。ついでに、これも人が頼んできた、猿が木の実を持っている姿を描いた絵に。「うまいけれど、食べないのが食べるのにまさるだろう。好んで木の実を食べれば、腹がふくれてしまうのだから(好きにまかせてしたいことをすれば、かえって腹にたまって苦しむものだ)」。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 あるさとびうたある人、思うことひとつかなえば二つありみつよつ五つむつかしの世やと申すは、たが歌にて、いずれの集に見えて候やらんと問う。おのれ云わく。これは集などに有るべき歌には有らず。ちかき世の俗歌なり。趣は聞えたれど、三の句つたなく、結びの句も上にかなわず、ねがうこと一つかなえば又ひとつ二つ三つよついつかつきせむ、など有らば、歌のようにも有らんか。
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
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『玉勝間』七の巻 ある人の言桜の花ざかりに、歌詠む友だち、これかれかい連ねて、そこかしこと、見ありきける、帰るさに、見し花どもの事、語りつつ来るに、ひとりが云うよう、まろは、歌詠まむと、思いめぐらしける程に、きょうの花は、いかに有りけむ、こまやかにも見ずなりぬと云えるは、おこがましきようなれど、まことは誰れも然も有る事と、おかしくぞ聞きし。
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『玉勝間』十の巻 巻頭(山菅十)はてもなし云うべき事は云えど云えどなおやますげの乱れあいつつ。この野べのすさびよ、いとかくはかなき手習いを、ものものしく、巻ごとに名つけて、歌をさえに添えたるは、我ながらだに、あやしく覚ゆるを、おのずからも見む人は、まして如何にことごとしと思うらん。さるは初めの巻のはしに、ゆくりかに歌一つ物して、巻の名つけつるままに、つぎつぎも一つ二つ然かせしが、おのずから習いになりて、必ずさらでは得あらぬわざの如なりもてきぬるを、今さらにたがえむも、さすがにて、例のごと物するになむ。そもそのおりおり、思いうるままに、詠み出でもし、あるいは他事に詠みたるが有るをも、取り出でなどするを、につかわしく覚ゆるも、無きおりなど、今書かむとすとては、筆とりながら、思いめぐらすに、例の口おそさは、とみにも出でこで、しりくわえ勝ちなるも、あじきなく物くるおしきわざになん。この山菅も、かろうじてほり出でたる、さる歌のきたなげさよ。
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『玉勝間』三の巻 こたつと云ふ物のうたしわすばかり、これかれ集まりて、埋火を題にて、歌よみける日、今の世のこたつと云う物を詠めと、人の云いければ、むしぶすまなごやが下の埋み火に足さしのべてぬらくしよしも。と詠めりければ、皆人笑いて止みぬ。
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