玉勝間 / 七の巻 天皇御元服の時のことぶき
同別記、久安六年正月四日、近衞天皇御元服の儀式の中にいはく、東進當御前北面、留立壁代外畔、磐折奏祝詞予、御酒惟厚ク、御着惟嘉、赤花手敬祭賜波、諸モロモロノ神達悅太萬比、遺能味乎嘗賜波、御躰平カス御坐テ、天地乃休事ヲ、日月共受保賜比、手長乃御世乃、遠岐御世ニ、貴北戴加重御坐ト申、また御冠を加、奉るところにいはく、當御前進、留立壁代外畔、(不揖)磐折奏、祝詞、其詞云、掛毛畏支天皇我朝廷、今月乃吉日、御冠加賜比天、盛爾美御負人成利賜又、天神地祇相悅比、護利福倍奉賜比天、御壽長久久、寳位無動〓御坐世止申、と見えたり。此二つの祝詞、文いとつたなし。はじめなるは、殊に拙し。今假字づけも何も、本のままにしるせるを、かなづきなど、後に寫し誤れりと見ゆる所所も有れど、もとよりいと拙きさまなり。古言のかたちの、ほのぼのまじれるは、古きかたの有しが、つぎつぎに崩れて、かく拙くは成れるなるべし。この頃はやく、古語はむげにすたれ果てて、知れる人も無かりしと見えたり。おくなるは、ことも無けれど、天皇の御事を、天皇我朝廷と有るは、いみしき誤なり。古語に天皇我朝廷とは、朝廷をこそ申せれ、天皇を然申せる事無し。
新字:同別記、久安六年正月四日、近衛天皇御元服の儀式の中にいはく、東進当御前北面、留立壁代外畔、磐折奏祝詞予、御酒惟厚ク、御着惟嘉、赤花手敬祭賜波、諸モロモロノ神達悦太万比、遺能味乎嘗賜波、御体平カス御坐テ、天地乃休事ヲ、日月共受保賜比、手長乃御世乃、遠岐御世ニ、貴北戴加重御坐ト申、また御冠を加、奉るところにいはく、当御前進、留立壁代外畔、(不揖)磐折奏、祝詞、其詞云、掛毛畏支天皇我朝廷、今月乃吉日、御冠加賜比天、盛爾美御負人成利賜又、天神地祇相悦比、護利福倍奉賜比天、御寿長久久、宝位無動〓御坐世止申、と見えたり。此二つの祝詞、文いとつたなし。はじめなるは、殊に拙し。今仮字づけも何も、本のままにしるせるを、かなづきなど、後に写し誤れりと見ゆる所所も有れど、もとよりいと拙きさまなり。古言のかたちの、ほのぼのまじれるは、古きかたの有しが、つぎつぎに崩れて、かく拙くは成れるなるべし。この頃はやく、古語はむげにすたれ果てて、知れる人も無かりしと見えたり。おくなるは、ことも無けれど、天皇の御事を、天皇我朝廷と有るは、いみしき誤なり。古語に天皇我朝廷とは、朝廷をこそ申せれ、天皇を然申せる事無し。
書き下し
同別記、久安六年正月四日、近衛天皇御元服の儀式の中に曰く、東に進みて御前に当たり北面し、壁代の外の畔に留まり立ち、磐折して祝詞を奏すらく、御酒これ厚く、御肴これ嘉し、赤花て敬い祭り賜わば、もろもろの神たち悦びたまい、遺の味を嘗め賜わば、御躰平らかに御坐して、天地の休き事を、日月と共に受け保ち賜い、手長の御世の、遠き御世に、貴く戴き重ね御坐せと申す、また御冠を加え奉るところに曰く、御前に当たり進み、壁代の外の畔に留まり立ち、(揖せず)磐折して奏す、祝詞、その詞に云う、掛けまくも畏き天皇が朝廷、今月の吉日に、御冠加え賜いて、盛りに美しき御負い人と成り賜いぬ、天つ神地つ祇相悦び、護り幸え奉り賜いて、御寿長く久しく、宝位動き無く御坐せと申す、と見えたり。この二つの祝詞、文いとつたなし。はじめなるは、殊に拙し。今仮字づけも何も、本のままにしるせるを、かなづきなど、後に写し誤れりと見ゆる所々も有れど、もとよりいと拙きさまなり。古言のかたちの、ほのぼのまじれるは、古きかたの有りしが、つぎつぎに崩れて、かく拙くは成れるなるべし。この頃はやく、古語はむげにすたれ果てて、知れる人も無かりしと見えたり。おくなるは、ことも無けれど、天皇の御事を、天皇が朝廷と有るは、いみしき誤りなり。古語に天皇が朝廷とは、朝廷をこそ申せれ、天皇を然申せる事無し。
現代語訳
同じ台記の別記、久安六年正月四日の近衛天皇の御元服の儀式の中に次のようにある。「東に進んで天皇の御前に向かって北面し、壁代(帳)の外の縁に立ち止まり、深く身をかがめて祝詞を申し上げる。『御酒はこれ豊かに、御肴はこれ結構に、赤い花をもって敬いお祭りになれば、もろもろの神たちはお喜びになり、そのお下がりの味をお嘗めになれば、お体は安らかにおいでになり、天地の喜ばしいことを日月とともにお受けになって保たれ、長くのびる御代の遠い御代まで、尊くいただき重ねておいでになりますように、と申し上げる』」。また御冠をおかぶせ申し上げるところには、「御前に向かって進み、壁代の外の縁に立ち止まり(会釈はせず)、深く身をかがめて申し上げる。祝詞、その言葉にいう。『口にするのも畏れ多い天皇の朝廷が、今月の吉日に御冠をお加えになって、盛んに立派な大人とおなりになった。天つ神・国つ神がともにお喜びになり、お護りしお幸いを与え申し上げなさって、御寿命は長く久しく、皇位は揺るぎなくおいでになりますように、と申し上げる』」と見える。この二つの祝詞は、文章がたいそう拙い。初めのものはとりわけ拙い。いま仮名の付け方も何も元の本のままに記したが、仮名の付け方など、後に写し誤ったと見える所々もあるものの、もともとたいそう拙い姿である。古語の形がかすかに混じっているのは、古い形があったのが次々に崩れて、このように拙くなったのであろう。この頃すでに古語はすっかりすたれ果てて、知っている人もいなかったと見える。後のものは格別のこともないが、天皇ご自身のことを「天皇が朝廷」と言っているのは、ひどい誤りである。古語で「天皇が朝廷(すめらがみかど)」とは朝廷を申すのであって、天皇をそう申した例はない。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞小右記の、長和五年のところに云わく、御即位の後、天下の諸神に奉幣する祝詞。天皇が詔旨と、皇神等の広前に、称辞言え奉り申し給わく、高天原に神留まり坐す、皇親神漏伎神漏美の命以ちて、事寄さし給える、豊葦原の瑞穂の国の、天つ日嗣の高御座の次次、去る四月廿八日より食国天下の政を聞こし食すに依りて、その状を申し給うと、散位正六位上大中臣朝臣高邦を、差し使わして、礼代の幣帛を捧げ持たしめ奉り給う、天皇が御命を、申し給わくと申す。今案ずるに、件の文は祝詞なり、宣命に非ず、とあり。称辞言奉申給は、言の字は竟の誤りなるべし。言の字あまりて、竟と云うことたらざればなり。また申と云う言もあまれり、奉申かとも思えど、それも古には例なき事なり。さてまた次次も聞こえず、次隨隨など有りけむが、字の落ちたるなるべし。四月廿八日は、正月廿九日の誤りなり。これらは、善本には然ぞあるべき。そもそも祝詞宣命などの文、中むかしよりこなた、つぎつぎにつたなく成りて、大かた語のととのわで、ことわり聞こえがたき事もおおかるを、こまかにさだする人も無きは、古意にうとく、古言を知らざるが故なり。これらは詞にあやをなせる物にて、古のは皆いとめでたかりしものを、かくのみなおざりに成り行くがうれたさに、今ことのついでに、いささかおどろかし置くなり。
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『玉勝間』七の巻 天皇御元服の時のことぶきこは中昔より、天皇をも、みかどと申すから、古語を見て、心得誤れるなり。さて宝位と申すこと、中昔よりこなたの、祝詞・宣命には、つねの事なれど、古言にはあらず、漢言なり。こはついでに云うなり。すべて後の世のは、祝詞も、宣命も古言を知らざるから、漢語のみにぞなりもてきにける。
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『玉勝間』二の巻 天皇御元服のよしを山陵に告給ふ宣命同記に、天皇が詔旨と、掛けまくも畏き其の山陵に〓申し賜えと申さく、公卿議り奏さく、明年は、天皇御歳を加え給い漸々、冠の年近くなり給うべし、冠は成人の始めにして、盛礼の嘉事なり、来る正月の吉日良辰に、元服を加え奉りて、人望に叶うべしと奏せり、掛けまくも畏き山陵の広き助けに依りて、平らけく安らけく果たし行わしめ給うべし、故に是を以て此の状を、官位姓名を差し使わして、恐み恐みも申し賜わくと奏す。寛仁元年十二月十九日。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞また申さく、天皇が朝廷に仕え奉る親王等・王等・諸臣・百官人等、天の下四方の国の百姓諸々集い侍りて、見たべ尊みたべ歓びたべ聞きたべ、天皇が明庭に茂し世に、八桑枝の立ち栄え仕え奉るべき禱りを聞こしめせと、恐み恐みも申し給わくと申す、これなり。この文、ふるくめでたき事多きを、世に知れる人稀なる故に、今写し出せり。ところどころ文字の誤りおおかるを、今は三四本を合わせ見て互いに善き悪しき中に、善しとおぼしきを撰びてしるしつ。されどなお誤りと見ゆる所々無きにあらず、なお善本を得て正すべきなり。さて今古言を考えて、訓をも加えたるついでに、いささかことの意をも解くべし。第六行なる天都御膳の遠の字は、必ず乃なるべし。遠にても聞ゆるが如くなれども、さては次に瑞穂遠と有る遠と重なれり。由庭仁所知食の知の字は、聞なるべし。第十行の天忍雲根神遠天乃云々、受給波里申仁、これは天忍雲根神遠、神漏岐神漏美命乃前仁、受給波里申仁、天乃二上仁奉上弖と、語を次第て見れば、よく聞ゆるなり。宇都志国乃水了の了の字は、尸とも加とも有り、皆誤りなり、かならず仁なるべし。天都水加加の立の字は、弖を誤れるなり。申遠里は心得ず、必ず申世止と有るべき処なり。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞大嘗会の中臣寿詞と云う文あり。宇治の左大臣頼長公の台記の、康治元年の大嘗会の別記に載せられたり。その文、現御神と大八島国知ろしめす大倭根子天皇が御前に、天つ神の寿詞を称辞定め奉らくと申す。高天原に神留まり坐す皇親神漏岐・神漏美の命を持ちて、八百万の神等を集え賜いて、皇孫尊は高天原に事始めて、豊葦原の瑞穂の国を安国と平らけく知ろしめして、天つ日嗣の天つ高御座に御坐して、天つ御膳を長御膳の遠御膳と、千秋の五百秋に、瑞穂を平らけく安らけくゆにわに知ろしめせと事依さし奉りて、天降り坐しし後に、中臣の遠つ祖天児屋根命、皇御孫尊の御前に仕え奉りて、天忍雲根神を天の二上に上せ奉りて、神漏岐・神漏美命の前に受け給わり申すに、皇御孫尊の御膳つ水を、うつし国の水に天つ水を加えて奉らむと申せと、事教え給いしに依りて、天忍雲根神、天の浮雲に乗りて、神漏岐・神漏美命の前に申せば、天の玉櫛を事依さし奉りて、この玉櫛を刺し立てて、夕日より朝日の照るに至るまで、天つ詔戸の太詔刀言を以ちて告れ。かく告らば、まちは弱韮にゆつ五百篁生い出でむ。その下より天の八井出でむ。これを持ちて天つ水と聞こしめせと事依さし奉りき。かく奉りし任々に聞こしめすゆにわの瑞穂を、四国の卜部等、太兆に卜事を持ちて仕え奉る、悠紀に近江国野洲、主基に丹波国氷上を斎い定めて、
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞その中に、上に引きたる左京二条座二座神は、大社の列にだに入り給わざるに、この祭に預かり給うことは、新嘗に殊なる故ある神なるべし。明良志は、理を延べて良志と云えるにて、阿加理なり。事仁は、下の奉仕と云うへ続く辞なり。食倍はみな多倍と訓むべし、給えと云う事なり。さて聞食倍の下に、弖と云う辞を添えて心得べし。天皇明庭の明の字は、朝の誤りなり。禱乎所聞食止は、一本には称辞竟奉良久止と有り、これも悪しからず。さて天忍雲根神云々の事、伊勢の外宮の書どもに、天村雲命の事として記せり。同じ神にやあらむ。さてこの寿詞を申す事は、辰の日豊楽院に幸し、悠紀の帳に御す、神祇官の中臣、賢木を笏に執りそえて、南門より入る。版位につき跪きて、天つ神の寿詞を奏すと、大嘗祭式に見えたり。わすれたり、大嘗会乃斎場とある会の字は、宮を誤れるなるべし
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